田中泯|若い頃からダンサーで活躍!58歳で俳優デビュし主役を食う存在感を発揮!

田中泯若い頃と今

田中泯(たなか・みん)さんは、世界的に知られるダンサーであり俳優です。
その人生は一貫して「身体で語る」ことに貫かれ、既存の枠にとらわれない表現を追い求めてきました。

映画国宝で魅せた唯一無二の身体表現者の軌跡!をご紹介します。

田中泯 現在の姿

田中泯の若い頃|安定を捨てダンスの世界へ

田中泯さんは、難関校から大学に進学という安定な道から、なんとダンサーへ進んでいきました。


その人生は「身体で語る」という情熱に一貫して貫かれ、既存の枠に収まらない表現を追い求めてきました。

名門校から異色の進路へ

  • 1945年:東京都に生まれる。
  • 1963年:東京都立武蔵高校を卒業。

武蔵中学校・高等学校は、東京都練馬区にある私立の男子校で、 高校からの入学を受け入れていないため、入ることが出来るのは中学受験からのみです。

偏差値は64で都内でも有数の難関校とされています。

  • 1965年:東京教育大学(現・筑波大学)に進学するも1年で中退。

哲学や教育を学ぶ中で「身体による表現」に強く惹かれ、安定した進路を捨ててダンスの道へ進みます。

ダンサーとしての第一歩

  • 1966年〜:クラシックバレエやアメリカンモダンダンスを学び、モダンダンサーとして活動開始。
  • 1974年:「裸の身体に土色を塗る」衝撃的なスタイルで注目を集める。
    即興性と身体感覚を重視した独自の表現を確立していきました。
田中泯 若い頃
田中泯若い頃
チョッピー
若い頃からアウトロー的な生き方だったんだ♪

世界へ羽ばたく|1978年パリでの鮮烈なデビュー

田中泯さんは、独自の考え方でダンサーとして地力をつけいよいよデビューしました。

それも、世界デビューです!

『間―日本の時空間』展で注目を集める

  • 1978年:パリ秋芸術祭『MA Espace-Temps du Japon(間―日本の時空間)』に出演
    磯崎新さん、武満徹さんプロデュースのこの展覧会で3週間のパフォーマンスを披露。
    当時“型破り”だった田中さんの踊りは、パリの観客に強烈な印象を与えました。

これが田中泯さんの世界進出の第一歩となります。

僕の外国デビューは1978年、磯崎新・武満徹プロデュースによりフランスのパリ秋芸術祭で開催された、『MA Espace-Temps du Japon』(邦題:『間一日本の時空間』展※通称「間」展(まてん)」に出演するため渡航しまし た。

日本から参加したパフォーマーのほとんどが一週間程度の上演でしたけど、僕は3週間現地で踊りました。

出典元:dancedition

のびお
ほかの出演者が1週間で終わったのに、3週間という長期にわたって踊り続けたのは、存在感があったんだろうね。

独自の道を歩み続ける

  • その後、アムステルダム・アヴィニョン・ローマなどで独舞公演を展開。
  • 1982年:土方巽と出会い、ソロ公演『恋愛舞踏派定礎』を実現。
    ただし、舞踏に分類されることを拒み、「名付けようのない踊り」を志向しました。

田中泯:農業と身体表現の融合|山梨での生活

  • 1985年:山梨県北杜市に移住し農業を開始。
  • 1986〜2010年:「身体気象(ボディウェザー)」をテーマに世界各地でワークショップを開催。

山梨での暮らしを通じて自然と深く関わり、身体表現をより豊かなものへと発展させていきました。

田中泯さんが山梨県に移住したのは1985年頃。

以来、田中泯さんは北杜市(旧・白州町)の山間部に拠点を構え、農業と身体表現を融合させた独自の生活と芸術活動を展開してきました。

その詳細をご紹介していきます。

🏞️ 山梨移住の背景と目的

  • 1985年:東京での都市的な生活から離れ、自然との関係を深めるために山梨県北杜市へ移住。
  • 「身体は環境によって変わる」という哲学のもと、都市の身体ではなく“土地に根ざした身体”を育むことを目指した。

🌱 農業と身体表現の融合

  • 自宅は急斜面にあり、日々の農作業が身体の感覚を鍛える場となっている。
    • 「山の斜面で暮らす人の腰は曲がらない。だから神楽の踊りも立ち姿が違う」と語る。
  • 農業は単なる生活手段ではなく、身体表現の基盤として位置づけられている。

🌀 舞踊資源研究所とワークショップ活動

  • 舞踊資源研究所を設立し、国内外のダンサーや表現者が訪れる場に。
  • 1986〜2010年:「身体気象(Body Weather)」をテーマに、世界各地でワークショップを開催。
    • 自然環境と身体の関係を探る実践的な研究が行われた。

🎨 アートキャンプ白州(1988年〜)

  • 山梨の白州町で始まった芸術イベント「アートキャンプ白州」は、田中泯さんが中心となって企画。
  • ダンス、演劇、美術、音楽など多分野のアーティストが集まり、自然の中で表現を模索する場として注目された。
  • 約20年間にわたり継続され、地域文化と芸術の融合を体現した。

🧭 哲学と生活の一致

  • 「踊るために体を作るのではなく、生活の中で生まれた体で踊る」という思想を実践。
  • 山梨での暮らしは、田中泯さんにとって“踊りの源泉”であり、“生きることそのものが芸術”という哲学の具現化。

田中泯さんの山梨での活動は、芸術と生活の境界をなくし、身体と自然の関係を深く掘り下げるものです。

田中泯さんが中心となって展開した「アートキャンプ白州」と「舞踊資源研究所」は、芸術と生活、身体と自然を融合させた稀有な実践の場でした。それぞれの活動内容を詳しくご紹介します。

🎪 アートキャンプ白州(1988〜2010)

アートキャンプ白洲とはどんな活動だったのでしょうか。

概要

  • 発足:1988年「白州・夏・フェスティバル」として始まり、1993年から「アートキャンプ白州」、2001年から「ダンス白州」と名称を変えながら継続。
  • 場所:山梨県北杜市白州町の農村地帯。
  • 目的:「芸能と工作・大地との生存」を掲げ、都市と農村の境界に新しい文化と生き方を探る。

主な内容

  • ジャンル横断的な表現:舞踊、演劇、美術、音楽、建築、映像、農業などが同時多発的に展開。
  • 野外制作と即興パフォーマンス:美術家が現地で作品を制作し、朽ちるまで展示。パフォーマンスは自然の中で行われた。
  • 建築ワークショップ:「竹のドーム」「土の家」など、土地の素材を使った空間づくり。
  • 国際的な交流:世界中から表現者が集まり、共同生活と創作を通じて文化的対話を行った。

特筆すべきエピソード

  • 打楽器奏者ミルフォード・グレイブスとの即興共演(1988年)。
  • 美術家・剣持和夫との「10mの塔」設置をきっかけに、野外美術展示が始まる。
  • 彫刻家・名和晃平が学生時代にボランティア参加し、創作の礎を得たと語る。

🌀 田中泯:舞踊資源研究所(1980年代〜)

田中泯さんは舞踏資源研究所を設立し、踊りに対して深い研究を続けました。

 

概要

  • 設立:1980年代後半、田中泯が東京・八王子で開設。
  • 目的:「身体の能力の問題とは違うところにある踊り」を探求。

主な活動

  • 身体気象(Body Weather)ワークショップ:身体と環境の関係性を探る実践的な研究。
  • ジャンルを超えた議論:舞踊以外の芸術家・研究者も参加し、身体表現の本質を探る。
  • 農業との融合:山梨移住後は「身体気象農場」として無農薬農業を実践し、身体と労働の関係を深めた。

🌱 共通する哲学

  • 「踊りは生活の中から生まれる」
  • 「身体は環境によって変化する」
  • 「芸術は都市からではなく、土地から立ち上がるべきもの」

これらの活動は、田中泯さんの「生きることそのものが芸術」という思想を体現したものであり、今なお多くの表現者に影響を与え続けています。

 

田中泯77歳:『名付けようのない踊り』で魅せ伝えた人生哲学!

田中泯さん主演の『名付けようのない踊り』は2022年1月28日に上映されました。

 

『名付けようもない踊り』とは

『名付けようもない踊り』は、俳優でありダンサーでもある田中泯(たなか・みん)さんの人生と踊りに迫ったドキュメンタリー映画です。
監督は犬童一心さん。田中さんの踊りが「名もなき人々」の踊りから生まれ、それが現代へと受け継がれていることを描き出しています。
ダンスとアニメーションを融合させた独特の映像表現が、この作品の大きな魅力です。

作品の見どころと魅力

この映画の大きな特徴は、ダンスとアニメーションを組み合わせた斬新な映像表現です。
田中さんが旅をしながら各地で踊る姿を通して、人生観や身体表現に対する深い思想が浮かび上がります。
ただのダンス映像ではなく、「生きること」「踊ること」の本質に迫る内容となっており、観る人に強い印象を残します。

こんな人におすすめ!

  • ダンスや身体表現に興味がある方

  • 人生観や芸術的なテーマに惹かれる方

  • 田中泯さんを俳優としてしか知らなかった方

  • 普通のドキュメンタリーでは物足りない方

芸術作品としての完成度が高く、映像を通じて深く考えさせられる内容です。

『名付けようもない踊り』は、田中泯さんという一人の表現者を通して、「踊ること=生きること」の意味を問いかける作品です。

田中泯:57歳からの俳優デビュー|映画界での躍進

田中泯さんの俳優デビューはなんと57歳!

時代劇初出演でいきなりアカデミー賞受賞したんです。

『たそがれ清兵衛』で圧倒的な存在感

  • 2002年:映画『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)で俳優デビュー。
    いきなり日本アカデミー賞最優秀助演男優賞・新人俳優賞を受賞。

主な出演作品

公開年 作品名 備考
2004 隠し剣 鬼の爪 藤井祐之進
2012 永遠の0 大石賢一郎(現代パート)
2021 HOKUSAI 葛飾北斎(老年期)
2023 PERFECT DAYS ヴィム・ヴェンダース監督作品
2025 国宝 小野川万菊(人間国宝の女形)

ドラマでもNHK大河『鎌倉殿の13人』や朝ドラ『まれ』などに出演し、年齢を重ねても第一線で活躍しています。

『国宝』で見せた異次元の演技

2025年公開の映画『国宝』で田中泯さんが演じたのは、歌舞伎界の重鎮・小野川万菊。

歌舞伎経験がないにもかかわらず、役のために1年かけて所作を習得。

80歳にしてなお新しい挑戦を続ける姿勢と圧倒的な存在感が、多くの観客を魅了しました。

「本物の人間国宝かと思った」という観客の声も多数。
登場するだけで場の空気が一変すると評されました。

演技スタイルと哲学|“存在する”という表現

田中泯さんの演技は、台詞よりも「身体」や「間」を重視する独自のスタイルです。

身体で語る

  • 役を「演じる」のではなく「存在する」ことを目指す
  • 沈黙や立ち姿に圧倒的な説得力を宿す

自然と土地とのつながり

  • 山梨の土地で得た身体感覚を演技に活かす
  • 「東京の体と山梨の体は違う」と語り、環境と身体の関係を重視

名付けようのない踊り

  • 既存のジャンルに分類されることを拒み、「踊りは個人に所属できない」と語る
  • 踊りは言葉以前のコミュニケーションであり、瞬間に起きるものと考える

まとめ|生き様そのものが芸術

田中泯さんは、安定を捨てて自分だけの道を切り拓き、
ダンサーとしても俳優としても唯一無二の表現を追求してきました。

80歳を超えた今も、舞台・映画・農業という日常を通して「名付けようのない踊り」を探求し続けています。

その生き方は、まさに“芸術そのもの”です。

チョッピー
田中泯さんって、存在そのものが唯一無二だよね!
のびお
ほんとだね!ハリウッドでも存在感は全く消えない。これからの活躍も楽しみだね(^^♪

ABOUT US
takayan
60代、70代になっても若々しく、輝き続ける俳優や歌手、アスリートたち、彼らの若い頃からの歩みや活躍を紹介するブログ「スターズ・クロニクル」を運営しています。 時代を越えて愛されるスターたちの魅力や、今も変わらないカッコよさをお届けしていますので、ぜひ覗いてみてくださいね!読めばきっと、彼らの新たな一面に出会えるはずです。
テキストのコピーはできません。