吉永小百合10代の頃の映画出演作!超かわいい画像は今も必見です!

吉永小百合10代の画像

80代に入った吉永小百合さん、今も美しい姿が印象的です。

そして、2025年10月には124本目の映画出演作、「てっぺんの向こうにあなたがいる」が上映されます。

そんな吉永小百合さんの10代のデビュー作から20歳になるまでの、映画出演作を詳しくご紹介していきます。

チョッピー
吉永小百合さんの10代の頃ってホント可愛い♪
のびお
たしかに、ホント可愛いよね!もう80代に入ったから、芸歴70年近いということだね、スゴイ!

芸能生活70年ってホントすごいことです!そんな吉永小百合さんの10代の頃を深堀していこうと思います。

吉永小百合:10代の代表作

吉永小百合さんは11歳の時にラジオドラマ「赤胴鈴之助」に「さゆり」役の声優をつとめ、芸能界への道を歩みはじめました。

吉永小百合12歳・赤胴鈴之助出演
出典元:吉永小百合12歳・赤胴鈴之助出演
  • 朝を呼ぶ口笛(1959年、松竹)
    吉永小百合の映画デビュー作。脇役ながら重要な役どころで登場。

  • ガラスの中の少女(1960年、日活)
    高校進学と同時に日活と専属契約を結び、初主演を果たした青春映画。

 

  • 霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活)

  • 青春残酷物語(1960年、日活)※端役での出演

端役なので、出演者に名前が載ってないですね。

  • あいつと私(1961年、日活)

  • キューポラのある街(1962年、日活)

1962年公開の『キューポラのある街』では第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。

この映画は、鋳物工場の町に住む少女とその家族を描いた作品で、吉永さんはその自然体で繊細な演技が評価され、一躍注目を浴びました!

 

  • 赤い蕾と白い花 (1962年、日活)
    主題歌「寒い朝」もリリース。

  • あすの花嫁(1962年、日活)

  • 美しい暦(1963年、日活)

  • 光る海(1963年、日活)

  • 青い山脈(1963年、日活)

  • 愛と死をみつめて(1964年、日活)

  • 潮騒(1964年、日活)

のびお
スゴイ!10代でこんなにも映画に出演しているんだね。エピソードも色々ありそう。

吉永小百合:10代のエピソード

吉永小百合さんは10代前半にデビューして、色々な映画に出演したので、色々なエピソードがあるのでご紹介していきましょう。

まず、10代の頃から吉永小百合さんは面食いではなかったようです。

吉永小百合さん面食いではなかった⁉

吉永小百合さゆりさんは10代の頃から、ジャガイモ顔の年上が好きだったようです。

吉永小百合さんは日活に所属しているとき、ゴールデンコンビと言われる浜田光夫さんと44本も共演しているんです。

その浜田さんが次のように語っているんです。

吉永とは2、3本共演した頃、吉永から「わたしの理想とする男性は年上で、宇野重吉さんのようなジャガイモみたいな顔の人が好き」と告白されたといい、「俺はトロロイモみたいな顔だから違うな」と諦めて、その後は仕事に没頭することができたという。

浜田は吉永と「今でも時々お会いすることがある」とプライベートでも親交があることを明かし、「僕らは清い関係でした。

だから44作も続けられた」とにっこり。

また、素顔の吉永については「悪い言い方をすれば『勝気』『負けん気が強い』。セリフはいつもばっちり覚えてくるので、僕もうかうかしていられなかった。

忙しくて僕は2年で大学を辞めたけど、吉永さんは現場に参考書も持ってこないのに早稲田大学に合格して卒業までした。努力家で仕事にもいつも真摯(しんし)に取り組む人だった」

出典元:シネマトゥデイ

チョッピー
吉永小百合さん10代の頃は、ジャガイモ顔の年上が好きだったんだ!

でも、吉永小百合さんは浜田光夫さんと初デートもあったようです(笑)

恋人役など44本の映画で共演してきた浜田は「唯一のデート」という16歳の時のエピソードを披露。

新宿で一緒にみつ豆を食べた後、「男の人が先に立って払うものなのよ」と吉永からお金を渡され、諭されたという。

「15歳の少女におごってもらいました」と浜田は苦笑い。

吉永は少し困った表情を見せつつも、「映画で素晴らしい恋愛をやらせて頂いて、逆に普段は兄弟というか同級生のような感じ。だから44本も一緒に出来たのね」と話した。

出典元:スポニチ

44本も共演てすごいことですよね、兄妹みたいな関係だったんでしょう。

さぁ次のエピソードは、少し驚きなんですが、吉永小百合さんの大ファンだった大物作家がいるんです!

吉永小百合の大ファン!ノーベル賞作家

川端康成さんといえばノーベル賞作家です!

そんな川端康成さんは、大の吉永小百合さんファンだったそうです。

吉永小百合さんと川端康成さん
出典元:文春オンライン吉永小百合&川端康成

ノーベル賞作家の川端康成も、吉永に魅せられた一人であった。自身の小説『伊豆の踊子』が1963年、吉永(当時18歳)の主演で映画化されたときには、ただならぬ執心ぶりを示している。

同作で監督を務めた西河克己によれば、《川端さんは小百合ファンだったから、小百合がそばにいればニコニコ。

普段は目玉がまん丸で睨まれると恐いのに、あんなに笑った顔は見たことがなかったです。「ロケの雰囲気を見ないとわからないからね」と言って下田のロケ現場に追っかけてきちゃったほど。

出典元:文春オンライン

のびお
破顔の川端康成さん、吉永小百合さんが大好きだったんだね!

吉永小百合(10代)藤田弓子(10代)二人の共演

吉永小百合さんと藤田弓子さんが10代の頃共演していたんです。

吉永小百合さんと藤田弓子さんのこんな共演もありました。

二人の出会いは赤胴鈴之助でのオーディションからでした。

吉永小百合&藤田弓子は赤胴鈴之助で初共演

なんと、吉永小百合さんと藤田弓子は小学校時代に出会っていました。

幼い頃から母親譲りで好奇心旺盛だったという藤田さん。母親とは大の仲良しで、休みの日には一緒に映画館をハシゴして何本も映画を 見ていたという。

小学校5年生になったとき、『赤胴鈴之助』というラジオドラマが始まることになり、出演する男の子と女の子を一人ず つ募集することを知った藤田さんは迷わず応募することに。

「ラジオもよく聞いていたので、ラジオ局を見てみたいと思っていたんですよね。

それでハガキを買ってきて自分で応募しました。一人で オーディションに行ったんですけど、一次審査、二次審査に受かって、『次は最終審査ですから親を連れて来てください』って言われちゃ って。

そこで初めて母に報告したら、『いいわよ』って二つ返事で来てくれました」

-お母様もとても好奇心が旺盛な方だったそうですねー

「そうです。最終審査に行ったら、女の子が一人いて、それが吉永小百合ちゃんだったの。

もうめちゃめちゃキレイで可愛くてね。母と2 人で『1人しか選ばないんだから、これはもうダメね。帰りましょう』って帰ろうとしたらラジオの人が飛び出してきて『弓子ちゃん、こ れはラジオですよ。ラジオ』って言って止められたの。

ラジオだと顔が見えないからね(笑)。

出典元:テレ朝post

ラジオドラマ赤胴鈴之助で出会った吉永小百合さんと藤田弓子さん。

現在は藤田弓子さんは舞台をメインに活躍していますし、吉永小百合さんは映画で頑張っています。
お互い現役で活躍しているので、いい意味で刺激し合っているのでしょう。
吉永小百合&藤田弓子の現在

チョッピー
二人とも同じ年なんだよね♪
のびお
幼馴染みたいなものだね、今でもお互いに頑張ってるんで励みになるよね!

10代の吉永小百合さん、本当に可愛いですよね!

彼女のファンである「サユリスト」と呼ばれる人たちは、主に同世代やそれ以上の団塊世代の方々が多く、特に彼女に熱狂的な支持を寄せていたようです。

20代に入ってからも、次々に映画に出演していくことになります。

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