岸部一徳さんは1947年1月9日生まれ現在78歳になりますが、俳優として精力的に活動を続けています。
近年では、映画やドラマで様々な役柄を演じ、観客や批評家から高い評価を受けています。

政界を舞台にした作品では、政治家や官僚役を演じ、その存在感で物語に深みを与えています。
岸部さんの演技は、表情や仕草など、非言語的なコミュニケーションを巧みに使いこなしているのが特徴です。
また、息子の岸部大輔さんもミュージシャン兼俳優として活躍しており、親子での共演もあるそうです。家庭では奥さんとは別居中ですが、仕事面ではますます充実しています。


そんな岸部一徳さん、若い頃はどんな活動をしていたのでしょうか?
そこでこの記事では岸部一徳さんの若い頃から現在までの活躍を時系列にご紹介していきたいと思います。
さぁ、そんな岸部一徳さん、10代はどんな少年だったのでしょうか。
目次
岸部一徳10代:音楽との出会いと青春時代
岸部一徳さんは、1947年に京都府京都市で生まれました。
9人兄弟の三男で、父親は元憲兵という家庭環境で育ち、幼少期には転校が多く、小学校だけで4回も転校を経験しています。
このような環境の中で、岸部一徳さん柔軟性や適応力を養ったのかもしれません。

初期の音楽経験
中学時代には、後にザ・タイガースで共に活動する瞳みのるさんと同級生となり、牛乳配達のアルバイトを通じて親交を深めました。

この頃から音楽への興味が芽生えました。
学生時代のバンド活動と友人たち
岸部一徳さんの学生時代は、音楽と友情が深く結びついた時期でした。
京都市立北野中学校に通い、そこで後にザ・タイガースで共に活動する瞳みのるさんと出会いました。
二人は牛乳配達のアルバイトを通じて親交を深め、友情を育みました。
高校時代には、瞳みのるさんとは別々の学校に進学しましたが、再び交流が始まりました。
この頃、瞳みのるさんの小学校時代の同級生である森本太郎さんや、高校の後輩である加橋かつみさんも加わり、4人で音楽活動を始めるようになります。

岸部さん達は1965年に「サリーとプレイボーイズ」というバンドを結成し、岸部さんはベースを担当しました。
このバンドが後にザ・タイガースへと発展していきます。
「サリー」という愛称は、岸部さんの背が高いことから、リトル・リチャードの楽曲「ロング・トール・サリー」にちなんで付けられたものです。
この愛称はザ・タイガース時代にも親しまれました。
学生時代のバンド活動は、岸部さんにとって音楽への情熱を育む重要な基盤となり、後の成功へと繋がる大切な経験だったと言えるでしょう。
プロミュージシャンを目指したきっかけ
岸部さんは以下の経緯でプロの道を歩むことになります:
1966年、ボーカルに沢田研二を加えて「ファニーズ」というバンド名で活動を開始し、京都や大阪で高い人気を獲得しました。
同年、ミュージシャンの内田裕也にスカウトされ、移籍する機会を獲得しました。
1967年2月、バンド名を「ザ・タイガース」に変更し、シングル『僕のマリー/こちらを向いて』でメジャーデビューを果たしました。
岸部さんは「ザ・タイガース」のリーダーおよびベーシストとして活躍し、バンドは日本中で一大ブームを巻き起こしました。
この成功が、岸部さんのプロミュージシャンとしてのキャリアを獲得する大きなきっかけとなったのです。

岸部一徳 20代:ザ・タイガースでの成功と人気絶頂
ザ・タイガースは、1960年代後半に日本で大人気になったグループサウンズバンドです。
非常に興味深いのが、岸部一徳さんが「サリーとプレイボーイズ」から「ザ・タイガース」で大人気になるまでの移り変わりが興味深いのでご紹介します。
初期:サリーとプレイボーイズからファニーズへ
ザ・タイガースの原型は、1965年に結成された「サリーとプレイボーイズ」です。
このバンドは、岸部一徳(当時は岸部修三)、瞳みのる、森本太郎、加橋かつみの4人でスタートしました。
その後、沢田研二(ジュリー)がボーカルとして加入し、バンド名を「ファニーズ」に改名しました。
この時期から、歌主体のバンドとして活動を本格化させました。
東京進出とザ・タイガースへの改名
1966年、ファニーズは東京に進出し、渡辺プロダクションと契約を結びました。
その際、作曲家のすぎやまこういちによって「ザ・タイガース」というバンド名が与えられました。
この名前は、岸部一徳さんとその友人たちのエネルギッシュで力強いイメージを象徴しています。
デビューと成功
1967年にシングル「僕のマリー」でデビューし、その後「モナリザの微笑」や「君だけに愛を」などのヒット曲を次々と生み出しました。
ザ・タイガースの音楽は、ビートルズやローリング・ストーンズの影響を受けつつも、日本独自のポップスとして進化しました。
ザ・タイガース解散と再結成
1971年、日本武道館でのコンサートを最後に解散しましたが、その後も何度か再結成されています。
特に1981年の「同窓会」や2013年のオリジナルメンバーによる復活コンサートは、多くのファンに感動を与えました。
ザ・タイガースの歴史は、音楽シーンの変遷とともに歩んできたものであり、彼らの楽曲や活動は今も多くの人々に愛されています。

ザ・タイガースでのヒット曲とファンとの交流
何度もお話ししましたが、岸部一徳さんは、かつて「ザ・タイガース」という伝説的なグループサウンズバンドのメンバーとして活躍されました。
このバンドは1960年代後半に大人気を博し、特に「シーサイド・バウンド」や「僕のマリー」などのヒット曲で知られています。
ファンとの交流については、ザ・タイガースの再結成時に特に注目されました。
1981年に一度だけの再結成ライブが行われ、その後も全国ツアーが実施されました。
この再結成はファンにとって大きな喜びであり、当時の新旧ヒット曲や新曲が披露されました。
また、2008年にはメンバー間の再会が実現し、ファンに向けた新曲「ロング・グッバイ」が発表されるなど、ファンとの絆を深めるエピソードもあります。
岸部一徳さんはその後、俳優としても成功を収め、多くのドラマや映画で活躍されています。
若き日の岸部一徳のビジュアルと魅力
若い頃の岸部一徳さんは、非常に魅力的なビジュアルと存在感を持っていました。
岸部さんは「ザ・タイガース」のメンバーとして活動していた時代、特にその端正な顔立ちとスタイリッシュな雰囲気で多くのファンを魅了しました。

長身でスリムな体型、そして柔らかな笑顔が印象的で、当時の若者たちの憧れの的でした。
岸部一徳が語るザ・タイガース「『火のような後悔』があったのだろう」 https://t.co/uF1IB66iOy pic.twitter.com/0ZAT5kb3wK
— riamn (@riamn002) May 21, 2023
また、彼の魅力は外見だけでなく、音楽活動における才能や情熱にも表れていました。
ベーシストとしての技術はもちろん、バンドのリーダーとしての存在感も際立っており、ステージ上でのパフォーマンスは観客を引き込む力がありました。
さらに、若い頃の写真を見ると、現在の俳優としての落ち着いた雰囲気とはまた違った、エネルギッシュでフレッシュな魅力が感じられます。
岸部一徳さんの若い頃の姿は、今でも多くの人々にとって懐かしく、特別な思い出として語り継がれています。

-
現在の落ち着いた雰囲気とは異なる印象を持っていました。
-
1960年代半ばから1970年代にかけて、ミュージシャンとして活躍していました。
-
1965年に幼なじみと「サリーとプレイボーイズ」というインストバンドを結成した。
-
1966年に「ファニーズ」として活動し、京都や大阪で人気を得る。
-
1967年に「ザ・タイガース」としてメジャーデビューし、バンドのリーダーおよびベーシストとして活躍。
-
-
俳優としてのキャリアをスタートさせた頃は、役を理解するために何度もテイクを含め、真面目でひたむきな姿勢で演技に向き合っていました。
-
水谷豊監督は岸部一徳の演技について「オンリーワン」と評価し、他の誰にも真似できない独特の魅力を持っていたとコメントしています。
岸部一徳さんは、ミュージシャンとしての活躍と、俳優としての真面目でひたむきな姿勢が、独特の魅力を放つようになったのでしょう。

岸部一徳 30代:俳優としての新たな挑戦
岸部一徳さんは、音楽活動から俳優業への転身を果たし成功した、数少ない人たちの一人です。
岸部さんは「ザ・タイガース」や「PYG」、そして「井上堯之バンド」のベーシストとして音楽活動を行っていましたが、音楽活動の中で俳優業への道が開かれました。

転身のきっかけは、音楽活動中に出演したドラマでの経験でした。
演出家の久世光彦さんから「俳優をやってみたらどうか」と勧められたことが大きな転機となり、その後、女優の樹木希林さんの事務所に所属することで俳優としてのキャリアを本格的にスタートさせました。
音楽活動から俳優業への転身
俳優業においては、彼の自然体でリアルな演技が高く評価され、数々の映画やドラマで活躍。
特に日常的な役柄を演じる際のリアリティが観客を引きつける要因となっています。
音楽から俳優への転身は簡単な道ではなかったと思いますが、岸部さんの多才さと努力がその成功を支えたのでしょう。
このようなキャリアの変遷は、彼の人生の豊かさを物語っていますね。
初の映画出演と演技の評価について
岸部一徳さんの初の映画出演は、1987年公開の映画『吉原炎上』です。この作品で彼は俳優としての新たな一歩を踏み出しました。
彼の演技は、自然体でリアルな表現が特徴で、観客に強い印象を与えました。
「吉原炎上」1987年、133分、東映。監督五社英雄、脚本中島貞夫、原作斉藤真一、音楽佐藤勝、撮影森田富士郎、出演名取裕子、二宮さよ子、藤真利子、西川峰子、かたせ梨乃、山村聡、佐々木すみ江、園佳也子、左こん平、絵沢萠子、岸部一徳、ビートきよし、速水典子、松岡知重、根津甚八、小林稔侍、 pic.twitter.com/DBDqX0w21E
— とものすけ或いはTomo (@tomos5959) August 15, 2024
その後、1990年の映画『死の棘』では、主演としての演技が高く評価され、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しました。
この作品では、繊細で深い感情表現が求められる役柄を見事に演じ切り、俳優としての地位を確立しました。
『死の棘』夫の不倫で壊れていく妻の松阪慶子が独特な感情表現をするので怖かったり、おかしかったりして飽きなかった。それを受けとめる夫の岸部一徳は他人事のように冷静。でも精神的に追い詰められるからお互い奇行を繰り返すようになるし、最後の精神病院でのやり取りは、出口なしでゾッとした。 pic.twitter.com/wXO5ZgpXBe
— にょろにょろ (@gumi11021225) February 15, 2022
岸部さんの演技は、独特の存在感と自然なリアリティが魅力で、特に身近に感じるような役や、複雑な心の動きを持つキャラクターを演じるときに、その魅力がより一層引き立ちます。
その高い演技力は、観る人だけでなく業界の中でも評価されていて、これまで多くの映画やドラマで大切な役どころを任されてきました。

岸部一徳40代:成熟した俳優としての地位確立
岸部一徳さんは、数々のドラマや映画で名演技を披露し、多くの人々に感動を与えてきました。
俳優としてオンリーワンの存在感を確立して、業界にとっては唯一無二の役者さんになっています。
ドラマや映画での名演技
岸部一徳さんの代表的な作品とその中での演技が特に評価されたものです:
映画
1. 『死の棘』 (1990年)
この作品では、繊細で深い感情表現が求められる役柄を見事に演じ、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しました。彼の演技は、観客に強い共感を呼び起こしました。
2. 『アウトレイジ』シリーズ
北野武監督のこのシリーズでは、冷徹で計算高いキャラクターを演じ、その存在感が際立ちました。
3. 『99.9 -刑事専門弁護士- THE MOVIE』
この映画では、独特のユーモアと深みを持つキャラクターを演じ、作品に欠かせない存在となりました。
クランクアップ6
キャスト陣のボス的な存在だった岸部一徳さん。穏やかながら、現場で色々な人にさりげなく気遣いをしてくれていた方です。#日曜劇場999 #深山と愉快な仲間たち #岸部一徳 pic.twitter.com/Y38nQdIlLi— 【公式】『99.9-THE MOVIE』Blu-ray&DVD発売中! (@999_2021TBS) March 24, 2018
ドラマ
1. 『医龍』シリーズ
医師・野口賢雄役として登場し、その冷酷で計算高いキャラクターが視聴者に強い印象を残しました。
『医龍 Team Medical Dragon』第1シリーズ観終わったが、最終的に岸部一徳演じる野口教授を観てるのが楽しかったなあ。冷静沈着な権力者で食えない感じが岸部一徳でしか出せない味すぎる。ずっと飄々としてきたからこそ、最終回で朝田の手術が成功した時の「いいいいーっ!」でスカッとする(笑) pic.twitter.com/BGab8ZOymr
— オブ犬 (@obuken2nd) July 26, 2024
2. 『ドクターX』シリーズ
このシリーズでは、病院長役として登場し、コミカルでありながらも重厚感のある演技が光りました。
࣪ ꧁ 大ヒット上映中!꧂ ࣪
『#劇場版ドクターX FINAL』#米倉涼子 さん&#岸部一徳 さんから
メッセージが到着⋆⸜お二人が演じる未知子と晶さんの
絆にも注目です꙳12年の集大成をぜひ劇場でご覧ください️
お近くの劇場はこちらからhttps://t.co/FNdcOX8CLZ pic.twitter.com/ardQU3lusl
— 【公式】『劇場版ドクターX FINAL』大ヒット上映中! (@DoctorX_tvasahi) December 13, 2024
3. 『しんがり~山一證券 最後の聖戦~』
このドラマでは、会社の崩壊に直面する社員たちの姿を描き、岸部さんの演技が物語に深みを与えました。
彼の演技は、キャラクターに命を吹き込む力があり、観る人々に強い印象を与えます。
社会的テーマを描いた作品への出演
岸部一徳さんは、社会的テーマを描いた作品にも数多く出演し、その中で深い演技を披露しています。以下はその代表的な作品とテーマについての概要です:
1. 『病院で死ぬということ』
この作品では、医療現場での終末期医療をテーマに描かれ、岸部さんは患者や医療従事者の葛藤をリアルに演じました。
目黒シネマ 市川準監督特集上映&岸部一徳トークへ。
昔のCMやドラマの映像を、色々流してくれて。
改めて観た感想や撮影時の話などを聞けて。
撮影タイムもあり、充実した企画!
彼は、素の話し方も理知的で穏やかで、良い声。
映画「病院で死ぬということ」を彼と一緒に観られて、良い思い出になった pic.twitter.com/9JGlJttTlv— sokosoko (@ssk99902) November 25, 2022
この映画は、命の尊厳や医療の在り方について深く考えさせられる内容です。
2. 『僕らはみんな生きている』
この映画では、社会の中での孤独や人間関係の複雑さをテーマに描かれ、岸部さんの演技が物語に深みを与えました。
岸部一徳さん好きなフォロワーさん発見したからこの映画をオススメしたい!『僕らはみんな生きている』
おっさん四人がクーデターに巻き込まれジャングルで遭難状態になりながら空港目指して頑張る話です!嶋田久作さんも岸部一徳さんもかわいいです!もう一度言います!
おっさん四人です!!! pic.twitter.com/OrgMIIWER6— もろろ (@mororoyasan) February 7, 2019
3. 『大阪ハムレット』
家族の絆や現代社会の問題を描いた作品で、岸部さんは家族の一員としての役柄を通じて、観客に共感を呼び起こしました。
4. 『団地』
高齢化社会や地域コミュニティの問題をテーマにした作品で、岸部さんの演技が物語の核心を支えています。
これらの作品を通じて、岸部一徳さんは社会的な問題を深く掘り下げ、観客に考えるきっかけを提供しています。
プライベートとプロフェッショナルのバランス
岸部一徳さんは、プライベートとプロフェッショナルのバランスを保つために、独自のスタンスを持っていることで知られています。
岸部さんは「染まらない自分をキープする」という考え方を大切にしており、これが彼の俳優としての成功にもつながっています。
岸部さんは、役柄に自分の個性を押し付けるのではなく、脚本家や監督が描くキャラクターに自分を合わせることで、自然体の演技を追求しています。
このアプローチは、多様な役柄を演じることを可能にし、観客に強い印象を与える背景となっています。
また、岸部さんは芸能界を一歩引いて客観的に見る姿勢を持ち、仕事とプライベートの境界を明確にすることで、心のバランスを保っています。
例えば、岸部さんは「俳優という仕事を通して質の良い人間になりたい」と語り、仕事に対して真摯に向き合う一方で、プライベートでは静かに自分の時間を大切にしているようです。
このような姿勢が、岸部一徳さんの長年にわたる安定したキャリアと、彼自身の豊かな人生を支えているのかもしれません。

岸部一徳現在:幅広い世代に愛される俳優として
ベテラン俳優としての評価と受賞歴
岸部一徳さんは、俳優としての長いキャリアの中で、その演技力と存在感が高く評価されています。
自然体でリアルな演技は、多くの観客や業界関係者から支持を受けていて、特に、日常的な役柄や複雑な内面を持つキャラクターを演じる際に、その真価を発揮しています。
主な受賞歴
1. 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
映画『死の棘』(1990年)での演技が評価され、1991年に受賞しました。
この作品は、岸部さんの俳優としての地位を確立するきっかけとなりました。
2. 日本アカデミー賞 優秀助演男優賞
『僕らはみんな生きている』(1994年)、『大鹿村騒動記』(2012年)、『北の桜守』(2019年)などでノミネートされました。
日本アカデミー賞 助演男優賞の一人に岸部一徳さん?[北の桜守] pic.twitter.com/xW69RKKIpa
— まりい (@mannenmiiha) March 1, 2019
3. キネマ旬報ベスト・テン 助演男優賞
『僕らはみんな生きている』(1994年)で受賞。
「僕らはみんな生きている」観た。初見。まず邦画で風刺物ながらここまで金のかかってスケールの大きい戦争物として描けていることにびっくりした。そして主役の4人のすごさ。岸部一徳も嶋田久作も、当時は知らんが今この感じなら高橋一生や阿部寛的なイケメン実力俳優扱いだろうな。 pic.twitter.com/XIDDoGFiQs
— kimiF (@kimiF2) June 8, 2024
4. 報知映画賞 助演男優賞
『僕らはみんな生きている』(1993年)で受賞。
橋の建設事業の競合プレゼンで海外の小国に出張中の大手建設会社の社員達だが、突如クーデターが勃発、ジャングルに逃げ込むはめになるが…
原作・脚本:一色伸幸 監督:滝田洋二郎
出演:真田広之/山﨑努/岸部一徳/嶋田久作/早見優 他🎬『僕らはみんな生きている』
⚡️配信中https://t.co/muuFpahcff https://t.co/lzZFUk6KZT pic.twitter.com/ujNIr4cMi1— 松竹シネマPLUS【公式】 (@shochiku_video) March 19, 2025
5. 高崎映画祭 最優秀主演男優賞
『病院で死ぬということ』(1993年)で受賞。
目黒シネマでの市川準監督特集(ご存命であれば今日が誕生日とのこと)。「病院で死ぬということ」などを視聴。
終了後は主演の岸部一徳&特集の企画者でもある犬童一心監督のトークショー。撮影のエピソード話に加え、市川監督&一徳さんコンビのCMを映画館のスクリーンでご本人と見る貴重体験でした☺️ pic.twitter.com/eIzpaHDkKF— 優さん(マサルさん)・Masaru TAKAYANAGI/高柳優 (@1day1quiz) November 25, 2022
6. 日本映画批評家大賞 助演男優賞
『GSワンダーランド』(2009年)で受賞。
10年前の映画だけど、GSワンダーランド面白かった。
思い余ってサントラにも手を出してしまった。岸部一徳さんの息子にあのライオンズを完コピさせるチョイスとかwメインの楽曲を橋本淳&筒美京平コンビに作らせてしまうとか。ツボなこだわりを挙げたらきりがない。
CDの装填も実にスバラシイ。 pic.twitter.com/F5Ksu74jyV— ジョージハラサン (@Crayon_Shinsan) August 13, 2018
これらの受賞歴は、岸部一徳さんが俳優として多くの作品で重要な役割を果たし、その演技が高く評価されていることを示しています。
人間味あふれる役柄とその魅力
岸部一徳さんが演じる役柄は、どれも人間味にあふれ、観客に深い共感を呼び起こします。
その魅力は、自然体の演技と、キャラクターに命を吹き込む力にあります。
以下は、特に人間味が際立つ役柄とその魅力についての例です:
代表的な役柄と魅力
1.『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』の神原晶
神原晶は、かつて一流の外科医だった過去を持ちながら、現在は名医紹介所の所長として医療現場を支える役柄です。
岸部さんの冷静さとユーモア、そして時折見せる温かさが、物語に深みを与えています。
このキャラクターは、自由であることの大切さや、裏方の重要性を象徴しています。
2. 『相棒』シリーズの小野田官房長
小野田官房長は、複雑な内面を持つキャラクターで、岸部さんの演技によってその人間的な弱さや葛藤が巧みに描かれています。
最近、相棒をシーズン1から見てるんだけど亀山薫(寺脇)もイイんだけど神戸尊(ミッチー)の3シーズンに劇場版Ⅱが最高過ぎる。小野田公顕(岸部一徳)の最期もある。右京さんと神戸のそれぞれの正義がぶつかったり…。いやはや濃いし及川光博の演技も凄い。#相棒 pic.twitter.com/UhDAhhenO7
— 雅 裕⛳️ (@masahiro8400) January 10, 2023
この役柄は、観客に「正義とは何か」を考えさせる深いテーマを提供しました。
3. 『大鹿村騒動記』の主人公
この作品では、地域社会や人間関係の複雑さをテーマに、岸部さんが演じる主人公が観客に強い印象を残しました。
◇◇Information◇◇
2月9日(火)21:00〜
NHK BSプレミアムにて
映画『大鹿村騒動記』放送原田芳雄・大楠道代・岸部一徳・佐藤浩市・松たか子・瑛太・三國連太郎 他 pic.twitter.com/K2mrayzwYQ
— 瑛太fan (@eitanomiryoku) February 5, 2016
岸部さんの演技は、笑いと涙を同時に引き起こす力を持っています。
岸部一徳さんの演技は、キャラクターの背景や感情を丁寧に掘り下げることで、観客に「この人は本当に存在しているのではないか」と思わせるリアリティを生み出します。
今後の活動と将来への期待
岸部一徳さんは、現在も俳優として精力的に活動を続けており、今後もその独特の存在感と演技力で多くの作品に貢献することが期待されています。
岸部さんはこれまで、映画やドラマで幅広い役柄を演じてきましたが、特に人間味あふれるキャラクターや複雑な内面を持つ役柄で高い評価を受けています。
将来的には、若手俳優との共演や、これまでにない新しいジャンルの作品への挑戦が期待されています。
また、これまでの経験を活かして、後進の育成や映画界全体の発展にも寄与する可能性があります。
さらに、岸部さんの演技は国際的にも評価されており、日本映画の国際的な地位向上にも貢献することが期待されています。
岸部一徳さんのこれからの活動がどのように展開していくのか、ファンとしても楽しみですね。


まとめ
現在進行形で活躍し続けている岸部一徳さん、若い頃から現在までの活躍を時系列で表にまとめました。
年 | 出来事 |
---|---|
1947年 | 1月9日、京都府京都市に生まれる |
1965年 | 昔と「サリーとプレイボーイズ」というインストバンドを結成 |
1966年 | 「ファニーズ」として活動し、京都や大阪で人気を得る |
1967年 | 「ザ・タイガース」としてシングル『僕のマリー』でメジャーデビュー |
1971年 | ザ・タイガース解散 |
1975年 | ドラマ『悪魔のようなあいつ』出演を機に俳優に転身 |
1983年 | 映画『時をかける少女』に出演 |
1984年 | 映画『お葬式』に出演 |
1989年 | 映画『その男、凶暴につき』に出演 |
1990年 | 映画『死の棘』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞 |
2002年〜2010年 | ドラマ『相棒』シリーズに小野田恐れ長役で出演 |
2003年 | 映画『座頭市』に出演 |
2012年〜2017年 | ドラマ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』シリーズに神原役で出演 |
2017年 | 映画『アウトレイジ 最終章』に出演 |
2018年 | 映画『空飛ぶタイヤ』に出演 |
2025年 | 現在も俳優として活躍中 |
岸部一徳さんは、ミュージシャンから俳優になって転身し、長年にわたり幅広い作品で活躍を続けています。
グループサウンズ時代の人気から、現在は名バイプレイヤーとして映画やドラマに重要な役割を担っています。