【水谷豊の若い頃】20代の出演ドラマと影響を受けた伝説の俳優!

水谷豊の若い頃と萩原健一

多くの人が、水谷豊さんといえば「相棒」を思い浮かべることでしょう。

でも、若い頃はとてもイケメンで、特に20代の頃には多くの人気ドラマに出演していました。

ここでは、水谷豊さんが20代で出演したドラマで、影響を受けた俳優やプロデューサーにスポットを当ててみました。

チョッピー
水谷豊さんの20代ってどんなだったの?
のびお
テレ朝の相棒を22年続けているので、そのイメージが強いよね、20代はどんな俳優だったのか?深堀してみよう。

20代ドラマ出演で影響を受けた俳優とプロデューサー

水谷豊さんが、20代初めに出演したドラマで、多くの影響を受けた俳優が、萩原健一さんと岸田しんさん、そして松田優作さんの3人です。

萩原健一・岸田森・松田優作
出典元:Amazon萩原健一岸田森松田優作

水谷さんは、芸能界が嫌になっていて辞めようかと思っている時に、「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」に出演し、萩原健一さんや岸田しんさんと過ごすうちに、自身の俳優としての方向性に大きな影響をうけました。

20代中頃には、NHKの土曜ドラマ「男たちの旅路」で共演した鶴田浩二さんや、「赤い激流」TBSで共演した宇津井健さんに大きな影響を受けました。

鶴田浩二と宇津井健・水谷豊
出典元:Amazon鶴田浩二宇津井健

また、映画「青春の殺人者」の出演オファーには、長谷川和彦監督から、「ジェームスディーンをやらないか」と直接の誘いがあり、詳しい話を聞く前に「やります」と答えたそうです。

青春の殺人者・水谷豊と原田美枝子
出典元:Amazon 水谷豊・原田美枝子
チョッピー
水谷豊さんは20代初めのころは、俳優を辞めよと思ってたんだね!でも出会った人たちによって少し変わったのかな。

そして、プロデューサでは、小坂敬こさかたかしさん岡田晋吉おかだひろきちさん、清水欣也しみずきんやさんとの出会いでした。

また、熱中時代教師編を企画してくれた、ディレクターの田中知己たなかともみさんは水谷豊さんの隠れた部分を引き出してくれました。

NTVのこの4名が水谷豊さんの才能を見抜き、企画しているドラマに抜擢し水谷豊さんをスターダムに押し上げたんです。

それでは、出会った俳優やプロデューサーと、どのようなエピソードがあったのか、ご紹介していきます。

のびお
水谷豊さんの才能を見抜いて、番組に抜擢したプロデューサーの人たちの影響もあるよね。

水谷豊:『太陽にほえろ』にゲスト出演!萩原健一との出会い

太陽にほえろマカロニ刑事登場
出典元:https://twitter.com/PL34zxXkAWJScz7/status/1549776498118180865

水谷豊さんと萩原健一さんの最初の出会いは、「太陽にほえろ」マカロニ刑事登場!への出演でした。

プロデューサーの岡田晋吉おかだひろきちさんが、水谷豊さんの才能を見抜き犯人役に抜擢したんです。

「太陽にほえろ!」の第一話「マカロニ刑事登場!」で、水谷豊さんはゲストとして犯人役を演じ、萩原健一さんは主役のマカロニ刑事を演じました。

この出会いは、2人の間に深い絆を生み出し、その後のキャリアに大きな影響を与えました。

第1話の内容は、水谷豊さん犯人役を演じ、萩原健一さん演じるマカロニ刑事に追い詰められ、最終的には逮捕されるというものでした。

2人の熱のこもった演技は視聴者を感動させ、「太陽にほえろ」がヒットドラマとなるきっかけとなりました。

水谷豊さんと萩原健一さんは、この共演がきっかけで気心を通わせるようになります。

これは、後の「傷だらけの天使」での共演を実現することになりました。

プロデューサーの岡田晋吉おかだひろきちさんはマカロニ刑事のあとのジーパン刑事の時にも水谷豊さんを犯人役で抜擢しました。

「太陽にほえろ」松田優作との出会い

水谷豊さんが生涯の友という松田優作さんとは「太陽にほえろ」ジーパン刑事登場!での共演がはじめての出会いでした。

岡田晋吉おかだひろきちさんに気に入られた水谷豊さんは、「太陽にほえろ」に4回ゲスト出演したんです。

当時、松田優作さんはジーパン刑事を演じており、水谷豊さんは犯人役でゲスト出演しました。

元NTVプロデューサーの岡田晋吉さんによると、新人だった松田優作さんをサポートするために、水谷豊さんをキャスティングしたそうです。

「僕は子役から始めていて、その意味では先輩だから、豊ならなんとかなるだろう、という岡田さんの思いがあったのではないですか。

今思うと、どうしてあんなに気が合ったのか、不思議だよね。優作ちゃんとは、テレビの撮影で初めて会って、すぐに打ち解けたの。

打ち解けたままで、最後まで付き合いが続いたって、普通ないでしょ。

僕もね、当時は人見知りでしたよ。

出典元:水谷豊自伝

二人はすぐに意気投合し、その日のうちに食事に出かけ、撮影所の近くの店で焼き肉を食べているそうです。

その後も交流は続き、親友としての絆が深まっていきました。

チョッピー
松田優作さんとは「太陽にほえろ」で出会ってすぐに親友になったんだね。

それからはお互いに連絡を取り合って、年に4回くらいは、2人で食事をしていました。

最初のころは町の中華とか、下北沢あたりの居酒屋さんだったけど、名前が知られてきたあたりから、しゃぶしゃぶとか、ちょっと高いものを食べるようになってね。

一度だけだけど、ホテルオークラでフレンチを食べたときには、こんな想像してなかったことがおきるんだってね、周りが静かなのに、ゲラゲラ笑いだしてしまった。

『俺たち、フレンチを食べているぞ』って。

二人とも笑いが止まらなくなった。

そんなことが楽しい時代でしたね。

出典元:水谷豊自伝

出会った当時松田優作さんは23歳、水谷豊さんは20歳でした。

お互いまだ名前が売れる前に親友となっているので、なんでも話せるし、なんでも言える関係だったそうです。

二人で暇つぶしにバトミントンをしたこともありましたね。

優作ちゃんが住んでいた家には広い庭もあったけど、家の前の道路に出てね。

車が側を通ったりしても、止めないでんです。(車を)避けながら、何回続くかやりました。

出典元:水谷豊自伝

二人の親友としての付き合いは松田優作さんが癌でなくなる年まで続きました

のびお
ほんとに仲がいい大親友って感じだね!芸能界でこんな友達ができるってめずらしんだろうな。そして、このころに「傷だらけの天使」に出演するんだね。

水谷豊:萩原健一と傷だらけの天使で再会!

傷だらけの天使の萩原健一
出典元:ファミリー劇場

なんといっても、水谷豊さんの出世作は「傷だらけの天使」です。

萩原健一が演じる木暮修の弟分がなかなか決まらずに難航しているときに、プロデューサーの清水欣也さんに萩原健一さんが水谷さんを推薦し弟分を演じることになりました。

誠実だし、ひたむきだし、いつも一生懸命やる子だった。だから推薦したんだ。豊ちゃんはいつも一生懸命だった。

必死になってセリスを覚えてくると、僕がときどき、全然違うことを言うじゃない。そうしたら、あの目をまんまるにしちゃってさ。

あのころ、豊かちゃんは役者をやめようと思っていたそうだ。

そこへ「傷だらけの天使」の話が来て、辞めるのはこれをやってからにしよう、と考え直したんだって。

出典元:水谷豊自伝

チョッピー
この頃はまだ役者をやめようと思ってたんだね、「太陽にほえろ!」とかに出たのにね。

「傷だらけの天使」萩原健一さんと水谷豊さんが演じる個性的なキャラクターが、視聴者の心をつかみ、伝説のテレビドラマになったのです。

傷だらけの天使の撮影エピソード

「傷だらけの天使」は、全26話が放送され、1974年10月5日から1975年3月29日まで、毎週土曜日の22時00分から22時55分に日本テレビ系で放送されました。

このドラマは、若者コンビの怒りと挫折を描いたアンチヒーロー型の探偵ドラマで、ストーリーは暴力団の抗争から捨て子の親探しまで幅広いテーマを扱っていたドラマでした。

水谷豊さんは当時のことを懐かしく話しています。

(585) 萩原健一&水谷豊(2009年12月20日) – YouTube

「傷だらけの天使」都会に生きる探偵コンビの 物語!萩原は 脚本づくりから参加し 随所に強いこだわりを見せた。

子分のアキラ役には水谷豊、実はこれ、 萩原の推薦によるものだったのだ。

「すごく誠実な人だなと水谷さんのこと思ってたん ですよ」

実は2人は 太陽にほえろの第一話で共演していた。マカロニが最初に捕まえる犯人 を演じたのが水谷豊だったのだ。

そして今回 「兄貴 お久しぶりです水谷 豊です」

「 照れますね 」

「萩原の兄貴がねマカロニ刑事で、2人でもう 走ったりいろんなシーンがあって」

「やってる 時に、その時にふとねこう言われたんですよ」

「 芝居って好きかいって聞かれたんですね」

「突然聞かれたので僕あの 曖昧な返事したんじゃないかなと思うん ですけど。」

「でもその時になんかこうちょっと その時からちょっと気に入ってくれたのか なという」「後で思えばで推薦してくれたん じゃないかと」

「僕はもうその頃もういつ 辞めよういつ辞めようってそう思ってた時 なんですね」

「この世界を向いてないと自分で 思ってたものですからね」

「よしじゃあこれ やったらやめようと 、そういう風に思った 頃でしたね」

「ですから 、後々このようなことにならなければ、 すんなり辞めてただろうと思います」

「萩原さんは、感性が突き抜けてますよね」

「いつも何か アイデアを考えてくるんですよですから」

「 ある時から、楽しみになりましたね 、どんなことを今日はやろうとしてるんだろ うっていうことをね」

「いつまでも、 あの感じの兄貴でいてほしいなと僕は思っ てるんですけれども。」

「健康でその元気で いればきっとまた何かいつかご一緒できる ようなことがあるかもしれませんし。」

「もちろん僕も身体気をつけますけれども。 それ以上に兄貴は体に気をつけてください照れちゃいますね。」

水谷豊と萩庭健一対談内容

「傷だらけの天使」の主な登場人物は次の7人で、水谷豊さんは重要な役柄でした。

傷だらけの天使の出演者
傷だらけの天使の出演者

傷だらけの天使のオープニングシーンは非常にインパクトが有りました。

木暮修(萩原健一)がヘッドフォンとゴーグルを身につけ目を覚まし、新聞紙をナプキン代わりにしてトマト、コンビーフ缶、ソーセージ、牛乳、クラッカーを貪欲に食べ続ける姿が印象的で、若者たちに影響を与えました。

そして、水谷豊さんと萩原健一さんの間には、ドラマの撮影を通じて深い絆が生まれたんです。

また、二人は撮影の合間にも一緒に時間を過ごし、互いの背中を流し合うなどのスキンシップを交わすことで、より深い信頼関係を築いていったと言われています。

のびお
萩原健一さんとは裸の付き合いで、気心が知れて、最高のドラマができたんだな。

番組が始まってから、萩原さんに「泊りに来いよ」と誘われ、なんどか家に行きましたね。

最初の奥さんの小泉一十三さんと一緒のころでした。「豊、風呂入ろう」と言われて、風呂の中でいろいろな話をしたり。

食事をごちそうになったりしました。

出典元:水谷豊自伝

そして、「傷だらけの天使」は、二人の個性的なキャラクターの魅力で、多くの視聴者を引きつけ、今日までその影響力を保ち続けています。

さあ、そんな水谷豊さんさんですが、もう一人、大きな影響を受けた俳優が岸田しんさんなんです。

もうこれで最後にしようと思って参加した「傷だらけの天使」で、岸田森さんからも大きな影響をうけました。

「傷だらけの天使」岸田森とのエピソード

水谷豊さんと岸田しんさんの出会いは、「傷だらけの天使」での共演が初めてで、水谷さんは、岸田森さんから大きな影響を受けたそうです。

岸田森さんは、文学座出身で演劇を基礎からしっかり学んできた人なので、水谷豊さんにとって演技の面でも大きな影響を与えました。

「森さんから、『俳優にとって最高の誉め言葉は、地でやっているんですか、と聞かれることだ。それは芝居をしているのが見えないって意味だから』と教えてもらいました。

『何をやっても水谷豊だと思われること、これがすごいんだ』その言葉がずっと残っていますね。

僕が目指すのは、まさにそれだったし、いつも自分でいたいというのがテーマだったから。

俳優としての大きな指針を与えてもらったと思います。

出典元:水谷豊自伝

「傷だらけの天使」での共演者として岸田森さんの存在は大きく、その作品がなければ今のわたしはないと語っていました。

そんな岸田森さんが「傷だらけの天使」が終了してから7年後に亡くなってしまいます。

水谷豊さんはその時の心境を次のように語っています。

「訃報を聞いたとき、僕はもう、ショックと悲しみで、しばらく立ち上がれなかった」

岸田の死因は食道がんで、享年43歳。六本木でバーを経営するほど酒好きだったので、過度の飲酒が命を縮めたともいわれた。

通夜の席で「傷だらけの天使」以降、疎遠だった萩原健一とも再開し、

「萩原さんは、僕を抱きしめながら、『豊、森ちゃんが俺たちを合わせてくれたんだ、森ちゃんの分も頑張っていこな』と話した。

わずか半年あまりの「傷だらけの天使」の撮影でしたが、3人は不思議な縁で結ばれているのだと思いました。

出典元:水谷豊自伝

生前は岸田森さんは水谷豊さんに、プライベートなことも惜しみなく見せてくれ、こころから信頼していたので、ショックから立ち直るのに時間がかかったようです。

僕は、アメリカに行ったときに、森さんにウイスキーを買って、それをお土産にしたんです。

森さんは『豊、これは幻の酒といってね、すごい酒なんだよ。よくこんな酒を買ってきてくれたな』

と喜んでくれた。

だけど、葬儀の控室で事実婚の女優・三田和代さんから「あなたからいただいたお酒も棺桶に入れました』と聞いてびっくり!

『あんなおいしいお酒はない』と言っていたのに、飲んでなかったのね。

「森さんとは、最後まで、そんなふうでしたね。だから、亡くなあったあとの喪失感がおおきくて、仕事をする意欲がまったくわいてこなかった。

森さんがいなくなったことを契機にして、芸能界を去ろうと本気でかんがえたこともありました」

出典元:水谷豊自伝

じつは、岸田森さん、ウイスキーの開け方が分からなかったそうなんです。

開け方が分からないウイスキーを「飲んだ」と言い、「あんなに美味しい酒はない」と喜んでみせた岸田森さんの水谷豊さんへの気遣い、人柄が偲ばれるエピソードです。

チョッピー
水谷豊さんにとって岸田森さんは、芸能界でなくてはならない人だったんだね。
のびお
十代で芸能界の嫌な大人ばかり見て、辞めようとしたけど、思いとどまったのは岸田森さんとの出会いもあるのかな。

なんとか、芸能界をやめることをとどまった水谷豊さんに、次々に仕事のオファーきたそうです。

NHKのドラマで、当時の大スター鶴田浩二さんと共演することになりました。

水谷豊:『男たちの旅路』鶴田浩二との出会

「男たちの旅路」の鶴田浩二と水谷豊
出典元:NHKアーカイブス

山田太一シリーズ「男たちの旅路」は土曜ドラマの第三弾としてスタートし、76年~79年まで4部に別れて放映されました。

このドラマで、大スターで大先輩の鶴田浩二さんと共演し、大きな影響を受けることになります。

水谷豊さんは、全12話のうち10話まで出演していました。

鶴田浩二さんは大スターでしたが、威張ったりせずにやさしく接してくれたそうです。

ドラマの内容について、水谷豊さんは次のように語っています。

警備会社に勤める元特攻隊員のガードマンを鶴田浩二さん。

僕と桃井かおりちゃんは、戦後生まれの若いガードマン役でした。

鶴田さんは大スターで大先輩ですけど、威張ったりしないし、僕には優しかったですよ。

(鶴田が特攻機の整備士だったときの)特攻服姿の写真をか見せていただいたし、現場で大事なことも教わりましたね。

出典元:水谷豊自伝

水谷豊さんは鶴田さんのセリフ覚えのよさに驚いたそうです。
脚本家の山田太一さんが書く9分近くの長台詞を、よどみなくこなしたのだとか。

いやあ、びっくりしました。

本読みのあとの立ち稽古はまだリハーサルなので、普通は台本を持ってやりますよね。

そこから台詞を覚えながら、本番を迎える。でも、鶴田さんは本読みが終わったら、台本を一切もたないんですよ。

それで、かおりちゃんと二人で、『鶴田さんが持たないのに、俺たちはこれでいいの?』と話し合って、台本を持たないでやってみたら、めちゃくちゃになってしまった(笑)

この結果、台本をもたないで迷惑かけるより、台本をもって迷惑をかけないようにしようということで、「本を持たせてもらいます」と頭を下げにいきました。

出典元:水谷豊自伝

水谷豊さんは鶴田浩二さんのこのような姿を見て影響をうけ、リハーサルの前にセリフをすべて頭に入れるように心がけ、台本を持たないで撮影に臨んでいるそうです。

チョッピー
相棒の長い台詞も鶴田浩二さんの影響なんだ!

今放送中の相棒での長台詞も、当時の鶴田浩二さんのようによどみなくこなしているのだとか。

そのシーンの共演者は自分がNG出したらどうしようかと、プレッシャーを与えているのだとか。

水谷豊さんは相棒のシリーズ前、2時間ドラマの第二話での出来事が、長回しの始まりだと語っています。

「相棒」第二話「恐怖の切り裂き魔連続殺人!」視聴率は22%を記録しました。

切り裂き魔の犯人は、東京地検の検事(浅倉禄郎あさくらろくろう)でありながら、女性ばかりを5人殺害し、6人目に交際相手の検察事務次官を殺害した時点で、右京と対峙することになります。

この浅倉禄郎あさくらろくろうを演じたのが生瀬勝久なませ かつひささんでした。

ラスト近くで、右京が浅倉と対峙したときの、8分間にわたる長回しが、「相棒」の特徴とも言える長回しの始まりでした。

「始めて見たら、どんどん進んで行く。僕がしゃべり続けている間に、寺脇と生瀬が大変な精神状態になっているのがよくわかるんですよ。

二人とも最後のあたりに台詞があるから、自分のところでNGをださないように、ものすごく緊張している。

異様なムードだな、と思いながら演ったのを覚えています。

これが成功したことで、和泉監督の長回しが続き、後にいろいろな人が大変な思いをすることになったんですね。

出典元:水谷豊自伝

チョッピー
「相棒」の長い台詞をよどみなくだものすごいョ!
のびお
ほんとだね!これも鶴田浩二さんの影響だったんだ。

水谷豊さんは「男たちの旅路」に出演中に「青春の殺人者」という映画にも出演しています。

この映画は、水谷さんの俳優人生に大きな影響を与えることになりました。

映画『青春の殺人者』との出会い

「青春の殺人者」水谷豊
出典元:シネマガイド

水谷豊さんは、映画「青春の殺人者」1976年に公開されたこの映画で、キネマ旬報主演男優賞を最年少(当時)で受賞したんです。

映画自体も第50回キネマ旬報ベストテン日本映画第1位!

日本映画監督賞、脚本賞を受賞しました。

この作品は長谷川和彦監督が初めて手掛けた映画で、水谷豊さんは主演を務めました。

長谷川和彦監督の若い頃
出典元:cinefil

長谷川和彦監督と水谷豊さんの出会いは、偶然ではなく必然ではなかったと感じます。

「男たちの旅路」のディレクターと長谷川監督が大学の同級生で、「男たちの旅路」の収録現場にやってきたそうです。

僕は76年から79年まで、NHKの土曜ドラマ「男たちの旅路」に出演していて、その番組のディレクター中村克史さんが、長谷川和彦監督と東大の同級生だったんです。

ある日、長谷川監督が「男たちの旅路」の収録現場を見学にやってきた。

そのとき中村さんから、監督が僕と話したがっていると聞いて、収録語にNHK近くの喫茶店であいました」

出典元:水谷豊自伝

のびお
長谷川監督が中村ディレクターに映画製作の話をしたのかな?誰かいい俳優いないかな?なんて相談したのかもしれないね。
長谷川監督は初対面の水谷豊さんを「豊」とよびすてにして、次のように言ったそうです。

「『豊、ジェームス・ディーンをやらないか』と言われたんですよ。」

「監督は僕がジェームス・ディーンを好きなことを知っていたんです。」

長谷川監督は、現在進行中の企画について話した。

千葉県で若い男が両親を殺害し、逃亡したという実話を下敷きにした映画製作である。

まだ脚本もできていない状況だったが、大好きだったジェーム・スディーンの「理由なき反抗」をイメージして、心を動かされました。

「どんな話なのか、ほとんど知らないのに、『やります』と答えてしまったんです。」

出典元:水谷豊自伝

チョッピー
「青春の殺人者」の役が「理由なき反抗」のジェームスディーンと重なったんだね。でも、監督の見る目はあったね、イメージピッタリ!

映画「青春の殺人者」で主演男優賞を受賞!

青春の殺人者・水谷豊と原田美枝子
出典元:Amazon・水谷豊と原田美枝子

この映画は、千葉県郊外でスナックを経営していた若者・斉木順(水谷豊さん)が、両親とのいさかいからついに父を、そして母を殺し、社会から疎外されていく様子を描いています。

この映画は、その時代の社会背景や人々の生活をリアルに描き出し、多くの視聴者から支持を受けました。

主なキャストをご紹介しますね、当時の人気俳優が出演していますよ。

「青春の殺人者」の出演者
「青春の殺人者」の出演者

この映画は、その時代の社会背景や人々の生活をリアルに描き出し、多くの視聴者から支持を受けました。

水谷豊さん、「青春の殺人者」では、実の父親と母親を殺してしまう役を演じたのですが、どんな気持ちで取り組んだのか。

主演男優賞を受賞するくらいなのだから、迫真の演技立ったのでしょう。

水谷豊自伝のなかでは、次のように語っていました。

親殺しがテーマになっているけど、自分と親の関係を考えてみると、どこかの時間で親を精神的に捨てる必要があった。

言葉をかえると、一回親を殺さなければ親から離れられない時期が来るんです。

僕はそれを精神状態としては理解できた。親殺しの精神状態のもとは、親離れにあるということから役に入っていったんです」

出典元:水谷豊自伝

映画「幸福」に主演

「幸福」は市川崑監督が手掛け、水谷豊さんと永島敏行さんが主演でした。

1981年に公開されたこの映画で、水谷豊さんと永島敏行さんは日本アカデミー賞第5回優秀主演男優賞を受賞したんです。

水谷豊が20代最後の年に出演した作品になりました。

この映画は、妻に去られ二人の子供を育てる刑事(水谷豊)と、恋人を殺され報復に燃える若い刑事(永島敏行)を主人公に、事件が解決される過程で、現代社会における幸福とは何かを描いています。

主な出演者は以下の通りです。

映画「幸福」の出演者相関図
映画「幸福」の出演者相関図

これらの作品は、その時代の社会背景や人々の生活をリアルに描き出し、多くの視聴者から支持を受けました。

水谷豊さんは、この映画の出演はあまり気乗りしなかったと語っています。

海外旅行にいったとき、思いついた映画の企画を実現するために、様々な方面に働きかけていたそうです。

懇意にしている市川監督にも相談しました。

市川監督からは、『そういう企画は、自分と年齢が近い人と組んだ方がいい』といわれて、代わりに提案されたのが、「幸福」という映画への出演でした。

妻に逃げられた子持ちの刑事役で、正直に言えば、あまり気乗りしませんでした。

役の設定も実際よりも5歳上で、後輩の刑事役の永島敏行さんを指導する立場だった。

出典元:水谷豊自伝

しかしこの映画も数々の賞を受賞しました。

主演の2人は冒頭でお話しした賞を受賞したほか、キネマ旬報ベストテン第6位毎日映画コンクール日本映画優秀賞、ブルーリボン賞ベストテン入賞、文化庁優秀映画選出

のびお
20代の映画出演は2本だけだものな、映画にあまり出てないけど、賞を受賞するような良い映画にであってるね。

20代の映画は2本だけですが、テレビドラマでは大活躍を続けています。

水谷豊さんは、鶴田浩二さんから多くの影響を受けたのですが、もう一人「赤い激流」で共演した宇津井健さんからも、大きな影響をうけました。

水谷豊:『赤い激流』宇津井健に影響をうける

宇津井健さんは赤いシリーズ(TBS系74~80年)で主役を演じています。

水谷豊さんと、宇津井健さんとの出会いは、「赤い激流」(77年)の共演が初めてでした。

水谷さんは天才ピアニストの役、宇津井健さんはその義父で、音楽大学の助教授という役を演じていました。

僕ね、当時25歳くらいだったけど、将来は宇津井さんみたいな大人になりたいと思っていたの。

ユーモアがあって、大好きな人でした。

出典元:水谷豊自伝

宇津井健さんは早稲田大学在学中に俳優座に入団し、俳優業をスタートしています。
大学在学中は乗馬部に所属していたそうで、水谷豊さんを乗馬に誘ったそうです。

最初にお会いしたのは、乗馬クラブでした。宇津井さんは馬がものすごく好きで、馬術歴も長い。

それで、撮影に入る前に、一緒に馬に乗ろうと誘われたのです。

後日、『赤い激流』の芝居で僕が『自分は、馬でいえば血統の良いサラブレッドじゃない。みんなと違って雑種なんだ』みたいなセリフをしゃべるときに、宇津井さんが『こういう台詞はきらいだ。血統がどうとかで馬を差別すること自体がおかしいんだよ』と話されたんです。

その言葉を聞いて、宇津井さんの人となりが分かりました。

出典元:水谷豊自伝

宇津井健さんは「ザ・ガードマン」や「渡る世間は鬼ばかり」では、実直で生真面目な役が多く、紳士のイメージが強いのですが、ユーモアもあって水谷さんを笑わせたそうです。

水谷さんがピアノを弾いている間、宇津井さんはピアノの側面を専用の布で拭きながら励ますシーンを撮影しているときに。

宇津井さんが真剣な表情で『敏夫くん、今度の全日本ピアノ拭きコンクール、頑張るんだぞ』というんですよ。

本当は全日本ピアノコンクールなんだけど、そんなジョークをリハーサルの合間に、僕だけに聞こえるように話すんです。もうおかしくって、吹き出しちゃった。

出典元:水谷豊自伝

二人の気心がピッタリ合って「赤い激流」は最終回が37.2%と「赤いシリーズ」のなかで最高視聴率を記録したんです。

水谷豊さんは、不良役や破滅型の役が多く、大人に反発する気持ちもあったそうですが、あんなふうになりたいと思ったのは、宇津井さんが初めてだったのだとか。

そして、宇津井健さんとはこの後も縁が続き、いろいろ良くしていただいたそうです。

チョッピー
真剣にピアノを弾いているときに「ピアノ拭きコンクール頑張るだぞ!」なんて言われたら笑っちゃうよね♪宇津井さんて真面目でユーモアがある人だったんだ。
のびお
水谷豊さんが憧れた大人のイメージだったんだな。でも、今の水谷さんてまさに真面目でユーモアがある大人になってるよね。

テレビも映画も良い作品に出会って、アルバイト感覚で再開した俳優業も、後戻りできないようになってきました。

そんなときに企画されたのが、「教師役」のドラマです。

水谷豊:20代中頃 『熱中時代教師編』との出会い!

「熱中時代・教師編」は、1978年~1981年まで日本テレビ系列で放送されたテレビドラマで、主演は水谷豊さんです。

このドラマは、小学校教師・北野広大が赴任先の小学校でさまざまな出来事にいどむ姿を描いています。

従来の学園ドラマではあまり取り上げられなかった小学校教諭を主人公にしたことで話題となり、夜9時台という時間帯に放送されたこともあり、広い視聴者層を獲得し、高視聴率を記録しました。

ところが、この「熱中時代教師編」企画段階では、役員のほぼ全員が反対したそうです。

「熱中時代教師編」針の穴を通すような企画だった⁉

この熱中時代教師編を企画したのが、日本テレビの田中知己ともみさんというチーフディレクターでした。

田中知己さんは、水谷豊さんを「ほおずきの唄」で、おねえ言葉でしゃべる日本舞踊のお師匠さんにキャスティングし、「豊ちゃんはコメディもできる」

「子供たちと一緒のドラマなら、きっと面白いものができるはずだ」といって「熱中時代」の企画を立ててくれたんです。

出典元:水谷豊自伝

田中知己さんが、水谷豊さんの才能を見抜いて、教師役に抜擢したんですね。

しかし、この企画は日本テレビの上層部から大反対にあったそうです。

のびお
「熱中時代」の企画で、お偉いさんはみんな反対したってなんで?水谷豊さんのイメージの問題かな。

やはり反対理由は、水谷さんのイメージが教師とかけ離れているからと、子供を半年間も拘束できるかであったようです。

ほとんどの役員が反対したと聞きました。理由は二つあって、一つは不良のイメージが強い水谷豊に教師の役ができるのか。

もう一つは、小学生の子供たちを半年間も拘束してドラマが作れるのか、ということでした。絶対にむりだと。

出典元:水谷豊自伝

ほぼ全員の役員が反対したのに、企画が通ったのには理由があったようです。
その当時、影響力のある制作局長が賛成してくれたのだとか。

幸運だったのは、その当時第一制作局長の職にあった井原高忠が賛成してくれたことだった。

「井原さんは『光子の窓』とか『11PM 』を作った方で、会議では発言権が大きい。その井原さんが、「田中ディレクターが、どうしても水谷豊を使ってドラマを作りたいと言ってるんだ。やらせればいいじゃないか。」と発言してくれたのです。

出典元:水谷豊自伝

チョッピー
そんなエピソードがあったんだ!もし賛成する人が一人もいなかったら、今の水谷豊さんいなかったかもしれないね!

「熱中時代・教師編」第1シリーズ

第1シリーズ1978年10月6日から1979年3月30日まで、毎週金曜日の21:00 – 21:54に「金曜劇場」枠で放送されました。

この第1シリーズではいろいろなエピソードがあったようです。

「クランクインして3ヶ月ほどたったころ、僕のところに生徒役の女の子が二人やってきて、『私たち、先生に謝りたいことがあります』と言うんですよ」

「理由を聞いたら、『撮影が始まったとき、先生の役は草刈正雄の方がよかった、と話していたんですけど、今は先生でよかったと思っています。すみませんでした』と頭をさげたんです」

水谷は北野先生の口調で、「そっかぁ、それはよかったなぁ」と答えたという。

出典元:水谷豊自伝

のびお
子供は正直だからね、でも3ヶ月で先生になりきった感じだ!

どんどん先生と生徒の関係になっていったんですね。

あるときに、生徒役の子から次のように言われたそうです。

ある日、生徒役の子から、『第二スタジオに〇〇さんという有名人が来ているんですけど、一緒にいってください』と頼まれたので『これから授業だから、だめだよ』と答えたら、『先生は芸能人を見たくないんですか』と真面目な顔をして聞かれたんです。

現実とドラマの境界線がわからなくなっていたんですね。

出典元:水谷豊自伝

チョッピー
ドラマと現実の境界線がなくなってきてるね!もう完全に生徒と先生じゃない(笑)

こんな子供たちと、水谷豊さんの関係が最高潮に達したのが、パート1の最終回だったのです。

「さよなら熱中先生」での別れのシーンでした。

北野(水谷豊)は生徒一人一人に通信簿を手渡しながら、それぞれに親しく話しかける。

通常の撮影なら、数人に渡して終わるのだが、20分近くの時間をかけて全員が通信簿が受け取れるシーンを撮影したのだ。

最後に北野は黒板に「さよなら」と書き、「さあ、大きな声で読んでみよう」と呼びかける。

みんなで「さよなら」「さよなら」「さよなら」と3回叫んだあと、

撮影は終わっているんですが、子供たち全員のゴーゴーという声が続きました。

「泣き声がゴーゴーという響きに聞こえたんですね、子供たちが泣き止むまで20分ほど待ちました。」

僕も、最終回には自分が思い描いていた世界にたどり着いたと、最大級の達成感を感じ、涙があふれました。

出典元:水谷豊自伝

この放送で視聴率47%近い数字を記録したんですね。

テレビを観ている人の半分近くが、「熱中時代教師編」の最終回を観ていたんだから、凄いことです。

熱中時代教師編の出演者は次の俳優さんたちでした。

熱中時代教師編の出演者相関図
熱中時代教師編:出演者相関図
のびお
このドラマで、水谷豊さんの不良のイメージはなくなったよな。まるで今までと違うイメージの水谷さんになった!

熱中時代教師編シリーズ2の詳細

『熱中時代・教師編 シリーズ2』は、日本テレビ系列で放送された人気テレビドラマシリーズ「熱中時代」の教師編シリーズの第2弾です。

このシリーズは、1980年7月5日から1981年3月28日まで毎週土曜日21:00 ~21:54に、「土曜グランド劇場」枠で全38回が放送されました。

平均視聴率は27.8%を記録しました。

主人公は、水谷豊演じる小学校教師・北野広大です。

北野広大先生は、前回よりやや成長した姿で登場し、小学2年生の幼い子供たちとを中心に、幅広い教育ドラマとしてより一層の完成度を目指した作品となっています。

また、各エピソードの詳細については、WEBザテレビジョンのサイトで確認することができます。
そこでは、各エピソードのあらすじが詳しく紹介されています。

例えば、「熱中時代・教師編 2「さようなら! さよなら! 熱中先生」」や
「熱中時代・教師編 2「熱中先生 重大な決意」」などのエピソードがあります。

その型破りな教育方法で子どもたちに慕われている北野広大先生の活躍は、多くの視聴者から支持を受けました。

このシリーズは、教育現場の現実を描きつつも、
ユーモラスで温かみのあるストーリー展開が魅力となっています。

また、豪華なキャスト陣も見どころの一つです。
このシリーズを通じて、教育の大切さや、教師と生徒、親と子の絆などを描いています。

それぞれのエピソードは、視聴者に多くの感動と共感を与えました。
このシリーズは、今でも多くの人々に愛され続けています。

2011年にはスペシャルドラマとして、北野の教え子が教師となり、本作から30年後を舞台にしたリメイク作品も放送されました。

このドラマは、その独特の世界観とキャラクターの魅力で多くの視聴者を引きつけ、今日までその影響力を保ち続けています。

チョッピー
熱中時代教師編1・2で水谷豊さんのイメージがまるっきり変わったよ、でもほかの俳優さんじゃここまで視聴者を引き付けなかったよね。

そして、熱中時代はこの後、刑事編に入っていきます。

水谷豊:『熱中時代刑事編』新たな出会いが!

『熱中時代・刑事編』は、1979年4月7日から10月6日まで毎週土曜日21:00~21:54に、日本テレビ系列「土曜グランド劇場」枠で放送された刑事ドラマです。

主な出演者は以下の通りです。

熱中時代刑事編出演者
熱中時代刑事編出演者

水谷豊さんとミッキー・マッケンジーさんの出会いは、1979年に放送されたドラマ「熱中時代 刑事編」での共演がきっかけでした。

このドラマでは早野武(水谷豊)と出会い、結婚するミッキー・フランクリン役を演じました。

そしてこの共演がきっかけで、プライベートでも2人は急接近し、交際が始まりました。

その後、1982年に2人は結婚し、ハワイで挙式を行いました。

チョッピー
最初の奥さんとの出会いは、ドラマの共演だったのね♪

ミッキー・マッケンジーさんとの結婚生活は、3年ほどで終わってしまうのですが、30代に入ってからのことなのでこの記事では詳細は省きます。

さあ、水谷豊さんが20代で出演した作品や、影響を受けた俳優さん達についてお話してきました。

しかし、今の水谷豊さんがあるのは、ドラマを制作するプロデューやディレクターとの出会いも忘れてはいけません!

この人たちが水谷豊さんの才能を見つけ、引き出してくれなかったら、名作は生まれなかったろうし、「相棒」もなかったかもしれません。

水谷豊:日テレプロデューサーとの出会い

水谷豊さんは、10代後半から20代にかけて、日本テレビのプロデューサーに見出され、たくさんのドラマに出演するようになりました。

なかでも、小坂敬こさかたかしさんや岡田晋吉ひろきちさんは敏腕プロデューサーで、多くのドラマを手掛けてきました。

特に小坂敬さんとは30代、40代になっても出演ドラマで関わってくることになります。

小坂敬プロデューサとの出会い

小坂敬さんは日本テレビのプロデューサーで、この水谷豊さんが19歳の頃「火曜日の女」シリーズのプロデューサーをしていました。

小坂敬さんは、水谷豊さんを10代の頃から気にかけてくれ、「火曜日の女」シリーズで不良役として抜擢しました。

この当時、水谷豊さんは俳優業は休んでいたのですが、割の良いバイト感覚で役者を再開したんです。

水谷豊さんは、恩人小阪敬さんについて語っています。

ずっと後のことですが、小阪さんは、『プロデューサー人生の中で自分は一つ失敗をした。それは水谷豊を好きになったことだ。俳優を好きになれば、冷静な判断ができなくなるから、だめなんだ』とおっしゃたんです。僕の大切な恩人ですね。

出典元:水谷豊自伝

小阪さんは、俳優として難しい時期、30代中頃から40代中頃の水谷豊さんを気にかけて、ドラマの企画をたててくれたそうです。

火曜日の女とは?どんなドラマ

水谷豊さんが10代後半で出演した「火曜日の女」は、日本のテレビドラマシリーズで、1970年代から1980年代にかけて放送された人気作品です。

このシリーズは、毎週火曜日の夜に放送され、異なるストーリーが展開されるオムニバス形式のドラマでした。

「火曜日の女」シリーズ全体としては、さまざまな著名な脚本家や演出家が関わり、日本のテレビドラマ史において重要な位置を占める作品となっています。

水谷さんは10代後半「火曜日の女」に出演してから、多くのオファーを受けるようになります。

そして、960年代後半から1970年代にかけて、多くの学園ドラマに出演しました。

その中で、『炎の青春』(1969年/日本テレビ系)で優等生役、『飛び出せ!青春』(日本テレビ系)でカンニングに手を染める生徒役、『泣くな青春』(フジテレビ系)で不良のリーダー役を演じていました。

これらの役に目を留めたのが岡田晋吉プロデューサーでした。

当時の水谷豊さんの演技について、「10代の若者が持つ発散できないようなイライラ感を表現するのがうまいな」と評価していたそうです。

岡田晋吉プロデューサとの出会い

岡田晋吉さんは、当時『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)の企画に携わっており、水谷豊さんを犯人役に抜擢しました。

このドラマは、萩原健一さんが演じるマカロニ刑事の登場シーンから始まり、マカロニと対峙する犯人役に水谷豊さんがぴったりだと考えたのです。


この出演がきっかけで、水谷豊さんはその後の「傷だらけの天使」での共演を果たし、彼の俳優人生に大きな影響を与えました。

「太陽にほえろ!」の第一話「マカロニ刑事登場!」のプロデューサーは岡田晋吉 (NTV)でした。

『太陽にほえろ!』(第1シリーズ:1972/07/21~1986/11/14、全718回)の第1回。藤堂俊介(石原裕次郎)をボスとする七曲署捜査一係に、すべてが型破りの新米刑事・早見淳(萩原健一)が配属されてきた。

長髪にパンタロン・スーツという出で立ちで、マカロニ・ウエスタンのような奴ということから「マカロニ」と名付けられ。

『太陽にほえろ!』という秀逸なタイトルは、ひと昔前に「太陽族」と呼ばれてその時代の若者の象徴的な存在だった男(石原裕次郎)(=太陽)に今の若い血気盛んな若者がほえる、というところから来ているといわれている。

【役名(演技者)】藤堂俊介(石原裕次郎)、早見 淳(萩原健一)、内田宗吉(ハナ肇)、山村精一(露口茂)、内田伸子(関根恵子)、島 公之(小野寺昭)、野崎太郎(下川辰平)、石塚 誠(竜雷太)。

出典元:太陽にほえろ!(第1回)マカロニ刑事登場! – ドラマ

岡田晋吉さんは松田優作が「太陽にほえろ」ジーパン刑事で登場した後にも、
水谷豊さんを犯人役で起用しました。

ジーパン刑事登場にも水谷豊をキャスティング!

岡田晋吉さんは、当時新人だった松田優作さんのサポートをしてもらうために水谷豊をキャスティングしたそうです。

「僕は子役から始めていて、その意味では先輩だから、豊かならなんとかなるだろう、という岡田さんの思いがあったのではないですか」

先輩がへの挨拶の仕方、カメラの立ち位置、芝居を始めるタイミングなど、さりげない気遣いが優作に伝わり、初対面同士の距離が縮まった。

出典元:水谷豊自伝

松田優作さんとは、これがきっかけで生涯の友となっていくわけです。

水谷豊さんと岡田晋吉さんの関係は、ドラマ制作を通じて信頼関係がつくられていきました。

岡田晋吉さん「太陽にほえろ」以外にも多くの作品を手掛け、そのドラマに水谷豊さんを起用し続けたんです。

岡田晋吉さんは多くのヒットドラマを制作しました。

主な作品をいくつか紹介します。

  • 「青春とはなんだ」石原慎太郎原作の青春ドラマで、当時の青春を描いた作品です。
  • 「これが青春だ」青春シリーズの一つで、若者たちの生活を描いたドラマです。
  • 「おれは男だ!」男性の生き方や苦悩を描いた作品です。
  • 「飛び出せ!青春」青春シリーズの一つで、若者たちの挑戦を描いたドラマです。
  • 「太陽にほえろ!」刑事ドラマの金字塔で、多くの視聴者を魅了しました。
  • 「俺たちの勲章」青春シリーズの一つで、若者たちの友情と挑戦を描いた作品です。
  • 「俺たちの旅」若者たちが旅を通じて成長していく様子を描いたドラマです。
  • 「いろはのい」青春シリーズの一つで、若者たちの恋愛を描いた作品です。
  • 「俺たちは天使だ!」青春シリーズの一つで、若者たちの挑戦を描いたドラマです。
  • 「あぶない刑事」刑事ドラマの一つで、危険な刑事たちの活躍を描いた作品です。

これらの作品は、その時代の社会背景や若者たちの生活をリアルに描き出し、多くの視聴者から支持を受けました。

放映時期 ドラマ・映画名 出演役名
1972年(20歳) ドラマ『太陽にほえろ!』出演 犯人役で出演
1972年(20歳) ドラマ『泣くな青春』出演 不良番長役
1973年(21歳)) ドラマ『顔で笑って』出演 山口百恵主演 外科医の息子役
1973年(21歳) 映画『ひとつぶの涙』出演 森田健作主演 親友役で出演
1973年(21歳) ドラマ『見知らぬ橋』出演 三田佳子主演 弟役で出演
1974年(22歳) ドラマ『傷だらけの天使』出演 萩原健一主演 弟分役で出演
1975年(23歳) ドラマ『影同心Ⅱ』出演 黒沢年男主演 不良男役で出演
1975年(23歳) ドラマ『おそば屋ケンちゃん』出演 小学校の先生役で出演
1975年(23歳) 映画『東京湾炎上』出演 テロリストの一員である「ムンク」役を演じています。
1976年(24歳) NHKドラマ『男たちの旅路』シリーズ出演 ガードマン役で鶴田浩二さんと共演!
1976年(24歳) 映画『青春の殺人者』主演 両親を殺害する若者役!主演男優賞を受賞
1977年(25歳) ドラマ『赤い激流』主演 ピアニスト役、宇津井健と共演
1978年(26歳) ドラマ『オレの愛妻物語』大竹しのぶさんとW主演 駆け落ち結婚の夫婦役
1978年(26歳) ドラマ『熱中時代・教師編』シリーズ主演 小学校の教師役。最終回に46.7%の視聴率記録!
1979年(27歳) ドラマ『熱中時代刑事編』シリーズ主演 前妻ミッキー・マッケンジーさんと出会う
1981年(29歳) 映画『幸福』出演 妻に逃げられた2人の子持ちの刑事役

これらの作品は、水谷豊さんが20代で出演した主な作品です。

水谷さんの演技は多くの視聴者を魅了し、日本のエンターテイメント界に大きな影響を与えました。

また、水谷さんの演技力と多彩なキャラクターは、一流の俳優であることを証明しています。

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