【吉永小百合若い頃】30代の映画出演作・プライベートエピソードをご紹介します。

吉永小百合30代

吉永小百合さんの30代は、人生のハンドルを自ら握り始めた重要な時期でした!

まず1973年、28歳での結婚が精神的な転換点になり、普通の生活を楽しむ時間ができたことが、吉永小百合さんの健康とキャリアに大きく影響を与えました。

そして「動乱」(1980年)などへの出演を通じて、演じることの奥深さに気づき、仕事への向き合い方が変わった時期でもあります。

チョッピー
清純派から大人の俳優に脱皮したんだね。
のびお
20代の頃とはまるで違う女性を演じてる!

吉永小百合:30代の代表作

さぁ、30代に入った吉永小百合さんはどんな映画に出演したのでしょうか。

大人の女性になって、ますます魅力的になってきました。

 

1975年(30歳)

『青春の門』(主演・伊吹タエ)

東宝、浦山桐郎監督。五木寛之原作の青春大河ドラマ。

仲代達矢さんの若い頃の演技が見れるのも嬉しいです。

吉永小百合30代に入って最初の映画なんですが、清純派は完全に脱皮して、迫力ある演技が見ものです。

青春の門 
出典元:青春の門

キャスト: 伊吹信介:田中健   伊吹重蔵:仲代達矢  伊吹タエ:吉永小百合

牧織江:大竹しのぶ   塙竜五郎:小林旭

あらすじは次のような流れです。

大正七年、米騒動が各地に波及する中、坑夫の伊吹重蔵は軍隊に抵抗したことで人望を集めた。

女給のタエに惚れた重蔵は、恋敵のヤクザ・塙竜五郎との喧嘩に勝ちタエを後妻として娶るが、炭坑内の事故で命を落としてしまう。

その後、女手一つで重蔵の息子・信介を育てるタエの元に、重蔵と関わりのあった平吉、恋敵の竜五郎、朝鮮人の金らが現れる。

やがて時は流れ、信介は同じく炭坑夫の子であり、幼なじみの織江と再会する。彼女は北九州に・・・・。

出典元:Amazonビデオ

『青春の門自立編』では厳しい母親も演じてます!

こんな吉永小百合さんも魅力的です。

 

青春の門はAmazonビデオで視聴できます!

1976年(31歳)

『新どぶ川学級』(主演・須藤節子)

会社対組合の解雇反対闘争が長期化する中で、子どもたちの教育を守るために労働者によって作られた「どぶ川学級」。この実在した私塾を舞台に、素人教師と問題児が苦境にもがきながらも力いっぱい生きる姿を描く。

日活、神山征二郎監督。教育映画。

新どぶ川学級
出典元:日活・新どぶ川学級

キャスト:須藤茂夫=森次晃嗣もりつぐこうじ 加東千恵子(中3)=山本由香利 加東正夫(中2)=高野浩幸 高原良子先生=丘みつ子 杉田道子先生=夏純子 和田健一郎=山本圭 加東伸子=園佳也子 須藤節子=吉永小百合 伊藤ふさ=三崎千恵子 有川敏子=高田敏江 修の母=小園蓉子 須藤の母=本山

あらすじは次のような流れです。

どぶ川学級に通う子どもたちの中に、中学3年の千恵子と中2の正夫の姉弟がいた。

二人の父はベテランの鋳物工だったが、争議で職場を離れて以来長いこと床についており、母親が朝から夜遅くまで働いて一家の生活を支えていた。

家計が苦しい状況にあって進学するか就職するか、千恵子が態度を決めなければならない日、父が救急車で運ばれてしまう。

多感な年ごろの正夫は、父が胃潰瘍だという母の話を信じていたのに、耳にしたのは「精神病院に入れられた」という衝撃的な一言だった。

俺の親父は狂いやがった…。この思いが正夫を非行の道に走らせた。そんなある日、どぶ川学級に啓一という少年が入ってきた。

彼は千恵子や正夫たちのような争議中の貧乏家庭とは違い良家の一人息子だったが、優秀校に進学し将来は外交官にという親の期待に押しつぶされそうになっていた。

どぶ川の先生・須藤は啓一を受験ノイローゼから解放しようと、子どもたちと一緒に江戸川べりのマラソンに誘った。

一方、グレてどぶ川学級に寄り付かなくなった正夫を何とかしようと子供たちは授業参観を企画するが、正夫は参観をメチャメチャにしてしまう。

須藤は正夫を叱るが、正夫は「家なんか無い方がいい。なんで勉強、勉強って言うんだ、どうせ高校に行けねぇのによ。俺なんか生まれてこなければよかったんだ」と涙を浮かべて絶叫するのだった。

その夜、家を飛び出した正夫は廃屋で啓一に出くわす。

啓一は産卵する鮭のようにひたむきな人生を送りたいと正夫に語るのだった。しかしその翌朝、啓一は自殺してしまう。

出典元:日活・新どぶ川学級

のびお
またまた素晴らしい映画に出会い、演技の幅が広がりました。

1977年(32歳)

『若い人』(特別出演・鮎沢由紀)

東宝、杉江敏男監督。

1977年公開の映画『若い人』では、吉永小百合さんが特別出演され、鮎沢由紀役を演じています。

この映画は石坂洋次郎の同名小説を原作に、教師と生徒の交流や恋愛を描いた青春映画です。

彼女が特別出演した背景には、1962年版の同作品で主演を務めたことが大きな意味を持っています。

吉永さんの役どころである鮎沢由紀は物語の重要な側面を象徴するキャラクターの一人であり、彼女の落ち着きと演技力が作品全体に奥行きを与えています。

この映画は他の主演俳優、桜田淳子さんや小野寺昭さんとの共演も注目されました。

キャスト:江波恵子:桜田淳子  間崎慎太郎:小野寺昭

橋本スミ子:三林京子  鮎沢由紀:吉永小百合

あらすじは次のような流れです。

港町にあるミッション・スクールの生徒たちの間に、新任の国語教師・間崎慎太郎に対する憧れが波のように拡がっていった。

中でも、高等部三年の江波恵子という生徒は、間崎に異常な関心を寄せていた。

間崎自身も恵子に大きな好奇心を駆り立てられるのであった。恵子は、私生児であった。彼女は、男を知り、その男を通じて父親というものを掴みたいと思っていた。

英語教師・橋本スミ子は恵子と間崎が、友情以上のものになることは、たいへん危険であると間崎に忠告。

修学旅行にも、間崎は同行し、恵子との仲も深まる。旅行後、恵子自身の軽率な発言から、恵子が妊娠しており、相手は間崎であるという噂がとび、間崎とスミ子の間も気まずくなってしまう。

ある日、水商売をしている恵子の母と彼女は喧嘩をし、家をとび出して、間崎の下宿へ転り込む。

しかし、スミ子が迎えに来て、素直に帰る。恵子は、学年末試験が始まっても学校へでてこなかった。

心配した間崎が、恵子の家へ行くと、母の酔った姿があり恵子と間崎は外へ出た。その時、間崎は、酔漢にからまれ大怪我をしてしまう。

そして、自室に間崎を連れてきて、スミ子に連絡。スミ子と恵子が、会っている間、間崎は、早く恵子に帰ってきてほしいと願う自分に気付き、恵子がもどってから、二人は抱き合うのであった。

怪我がなおってから、間崎は、校長に呼びだされ、恵子とのことをきかれる。間崎は、ハッキリと結婚するという。

しかし、恵子は間崎に逆の返答をするのであった。若い教師が、連絡船の上から遠ざかる街並みを見ている頃、街には、卒業式を告げる礼拝堂の鐘が鳴り響いていた。

出典元:映画.com

のびお
真田広之さん主演のドラマ『高校教師』はこの映画のテレビ版みたいだったんだね。

1978年(33歳)

『皇帝のいない八月』(主演・藤崎杏子)

松竹、山本薩夫監督。サスペンス。

長く熱い8月、日本中を揺るがせた“戦いの24時間”が描かれます。東客360人の命を人質に取り、ブルートレイン〈さくら号〉は夜の闇の中を疾走します。その背後には、巨大な陰謀がひそんでいました。

自衛隊によるクーデターをテーマに、小林久三氏の原作をもとに山本監督が映像化。鹿児島から東京へと向かう寝台特急〈さくら号〉には、十数人の自衛隊クーデター計画メンバーがすでに乗車しており、日本を揺るがす計画を着々と進めていたのです。

皇帝のいない8月
出典元:松竹・皇帝のいない8月

キャスト:吉永小百合 渡瀬恒彦 山本圭 三國連太郎

あらすじは次のような流れです。

8月14日午前1時、盛岡市郊外、不番なトラックを追っていたパトカーが機関銃の乱射を受けて炎上、トラックは東京方面に走り 去った。

8月15日午前10時半、鹿児島、陸上自衛隊、警務部長の江見(三國連太郎)は郷里で亡妻の参り中に内関情報室長の 利倉(高橋悦史)からの連絡で、盛岡のパトカー炎上事件を知った。

そして、自衛隊内外の不様分子を列記したリストにの で、今は一人娘、杏子(吉永小百合)の夫である藤崎(渡謝彦)の名を発見して愕然とする。

編京の途中、杏子のむ博多に立 ち寄るが、杏子は、崎が運送至打ち込んでいることを告げる。だが、江見が去った後、夫がら東京に行くという手紙が届い た。

同日午後6時半、博多駅。至界紙の記者、森(山本主)は取材を終え、帰郷すべく、「さくら号」を博多駅で待っていると 時ホームを駆ける杏子の姿を見かけた。

思いがけない再会、かつて二人は結婚をい合った仲なのだ、二人を乗せたブルートレイ ンは静かにすべり出す。

同日、東京首相官邸,依林総理を囲んで緊急会議が開かれていた。大規模なクーデター発生の可能性を報 告する利倉、自衛隊の軍隊化をめぐり、日本最大の里、大畑(佐分利信)との対立が再燃した。

同日午後8時1分、門司、石森 は列車の下に動く怪しい男の影を発見。同日午後8時15分、下関、石森の要請で、車輪係員が列車を点検したが、危険物は発見さ れなかった。

その直後、石森と杏子は一号車に連行され、そこに藤崎の姿を見た。杏子の不安が的中したのだ・・・。

出典元:松竹・皇帝のいない8月

1979年(34歳)

衝動殺人息子よ

監督:木下恵介
キャスト:若山富三郎  高峰秀子 吉永小百合  加藤剛

息子を殺された父親が深い悲しみの中で立ち上がり、同じように家族を失った人たちと力を合わせ、被害者遺族を守る法律の制定を目指して活動していく姿を描いた作品です。

この映画は、昭和53年(1978年)『中央公論』3月号に掲載された、佐藤秀郎の同名ノンフィクションを原作としています。

脚本は、砂田量爾と『スリランカの愛と別れ』を手がけた木下恵介の共同執筆。監督も木下恵介が務め、撮影は『燃える秋』などで知られる岡崎宏三が担当しました。

あらすじは次のような流れです。

京浜工業地帯の一角で鉄工所を経営している川瀬周三は、昭和四十一年になって、めっきり身体のおとろえを覚え、工場の実務を二十六歳になる一人息子の武志に譲った。

そして、秋には、妻・雪枝の郷里から田切杏子を迎え、結婚式をひかえていた。順風満帆、周三にはおだやかな老後が残されているだけのように思えた。昭和四十一年五月、武志は、友人吉川と近くの釣り堀に出かけた帰り道、ある若者に、すれ違った瞬間、腹部を刃物で刺された。

武志の傷は深く、「お父さん、口惜しいよ、こんなことで死ぬなんて、仇は必ずとってくれよ」と言うと、周三の腕の中で息たえた。犯人は事件から三日後、自首してきた。ヤクザに「お前には蠅の一匹も殺せないだろう」と言われ、カッとなって、“誰でもいい、最初に行きちがった奴を殺そう”と話す。

武志の葬儀を境に、周三の生活は一変した。工場を放り出し、墓地通いが続く。昭和四十二年二月、事件から十ヵ月近くして判決が下った。被告が未成年であり前途あることから〈五年乃至十年の不定期刑〉であった。

軽すぎる刑に周三は怒った。周三は法律相談の窓口を訪ねるが、こうした故なき災害に対する被害者遺族の補償は全く無いに等しかった。周三は法律の勉強を始め、そして、事件発生以来熱心な取材にあたっている新聞記者、松崎から紹介された、娘を殺された中沢や全国の同様の境遇の人たちと被害者遺族を保護する法律を作ってもらうよう国会に働きかけることを誓う。

周三は、工場を売却した資金で全国を回って、被害者遺族に会った。遺族の一人から京都の若手大学教授がこの間題に取りくんでいると聞き、周三は京都に行き、運動は大きく前進した。

やがて、周三を中心とした全員の長い間の努力が実って、新聞やテレビも取り上げるようになり、政府も重い腰を上げた。昭和五十一年七月、周三は参考人として衆議院法務委員会へ招かれた。

そこで法律の矛盾とこれまでの自分の体験を涙なからに訴えたのである。だが、その直後、周三は極度の疲労による心筋梗塞で倒れてしまった。昭和五十二年一月、周三は息子武志が息を引きとった病院で、六十六歳の生涯をとじた。枕元で妻雪枝がそっと語りかけた。

「あとは私がひきついで、運動は続けていきますからね、見ていて下さいね」

出典元:映画.com

1980年(35歳)

動乱』(主演・溝口薫)

東映、森谷司郎監督。戦争映画。

昭和史の大きな転機となった五・一五事件から二・二六事件までの激動の時代を背景に、寡黙な青年将校とその妻の切ない愛の物語を描いた作品です。物語は、第一部「海峡を渡る愛」と、第二部「雪降り止まず」の二部構成となっています。

脚本は『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』の山田信夫、監督は『聖職の碑』で知られる森谷司郎、撮影は『天使の欲望』を手がけた仲沢半次郎が担当しています。

キャスト:高倉健 吉永小百合

あらすじは次のような流れです。

第一部「海峡を渡る愛」昭和七年四月、仙台連隊。宮城啓介大尉が隊長をつとめる中隊の初年兵、溝口が脱走した。姉の薫が貧しさから千円で芸者に売られようとしていたからだ。溝口は捜索隊の上司を殺してしまい、宮城は弁護を申し出るが聞き入れられず、溝口は銃殺刑に処せられた。

宮城は父に用立ててもらった千円を香典として渡す。当時、日本は厳しい経済恐慌に包まれ、これを改革すべく、一部の海軍将校と陸軍士官候補生らが決起した。五・一五事件である。

クーデターは失敗に終り、陸軍内部の皇道派と統制派の対立を激化させた。この影響は仙台にいる宮城にまで及び、部下から脱走兵を出した責任で朝鮮の国境守備隊へ転任を命じられる。

そこは、朝鮮ゲリラへ軍需物資の横流しが平然と行なわれる腐敗したところだ。官城は将校をねぎらう宴に招待され、そこで芸者になった薫と再会する。薫を責める宮城。数日後、薫が自殺を図った。宮城は軍の不正を不問にすることで、薬を入手し薫の命を救う。

その頃、国内では統制派によって戦争準備が押し進められていた。第二部「雪降り止まず」昭和十年十月、東京。宮城は第一連隊に配属になり、薫と共に居をかまえた。しかし、二人の間にはまだ男と女の関係はなかった。

官城の家には多くの青年将校が訪れ、“建設か破壊か”と熱っぽく語り合っていく。憲兵隊の島謙太郎はそんな宮城家の向いに往みこんで、四六時中、見張りを続けていた。

ある日、宮城は恩師であり皇道派の長老格でもある神崎中佐を薫と伴に訪れた。神崎の家庭の幸せを見て、薫は「私の体は汚れているから抱けないんですか」と宮城につめよる。

数日後、宮城が決行を決意していた軍務局長暗殺を神崎が単身で陸軍省におもむき果してしまった。この事件は青年将校たちに“時、来る”の感を持たせ、昭和維新への機運いっきに高まった。

官城たちの行動に、心情的には同調しながらも、憲兵という職務から事を事前にふせごうと島は苦悩する。

決行の日が決まり、宮城は実家に帰り父に薫のことを頼むと、はじめて彼女を抱くのだった。決行の日が来た。時に昭和十一年二月二十五日。夜半から降りはじめた雪は、男たちの熱い思いと、女たちの哀しい宿命をつつみこんで、止むことなく降り続いていた……。

出典元:MOVIEWALKERPRESS 

1981年(36歳)

※この年の「青春の門」は1981年版(松坂慶子主演)であり、吉永小百合の出演はありません。

1982年(37歳)~1983年(38歳)

※この時期は映画への出演が一時減少、主にテレビドラマや朗読活動が中心。

1984年(39歳)

天国の駅 HEAVEN STATION(主演・林葉加代)

東映、出目昌伸監督。戦後初の女性死刑囚をモデルにした話題作です。

天国の駅 吉永小百合
出典元:天国の駅 吉永小百合

二人の夫を殺害し、戦後ただ一人の女性死刑囚として処刑された女性の半生を描いた作品です。
脚本は『空海』の早坂暁さん、監督は『パリの哀愁』の出目昌伸さん、撮影は『空海』の飯村雅彦さんがそれぞれ担当しています。

あらすじは次のような流れです。

昭和45年6月11日、東京小管拘置所内の処刑場で、一人の女がこの世に別れを告げ、天国への階段をのぼっていった。林葉かよ、47歳。--昭和30年春。結城つむぎの織女として、また美人としても評判のかよは、まだ32歳の女盛りであった。

夫の栄三は傷痍軍人で、下半身マヒの障害者だった。しかも初夜を迎えないままに出征したため夜な夜な嫉妬心のかたまりとなって、かよに辛くあたった。そんな彼女に目をつけて接近したのが巡査の橋本だった。

満たされぬ日々に悶々とするかよと深い仲になるのに時間はかからなかった。妻の浮気を知った栄三は狂ったように折檻し、思いあまったかよは夫を毒殺。しかし警察はズサンな調べで脳内出血による死亡として処理した。

栄三の死後、警察を辞めた橋本はかよの世話で東京の大学へ通わせてもらうようになった。そんなある日、橋本は東京から幸子という女を連れて帰って来た。橋本は、かよとの噂を打ち消すために、幸子と仮の夫婦になるのだと言い訳をするのだが、かよと幸子二人の女は、橋本に騙されていたことを知り手切金を渡して縁を切った。

同じ男に騙された妙な連帯意識で姉妹のように仲良くなった二人は、綿谷温泉郷にたどりつき、かよは土産物店を開き、幸子は芸者として、人生の再スタートを切った。そして、結城の頃から、かよに想いを寄せていた通称ターボという知的障害の一雄も、いつのまにかこの地に住みついていた。

大和閣の主人・福見は、かよに惹かれ、何かと援助を申し出ていた。ダニのような橋本が現われ、かよに金をせびりに来た時も、福見は手切金として300万円を渡して追い返した。しかし、福見には精神病院に入院している妻・辰江がいる。

そこで、ターボのかよに対する気持ちを利用して、かよに危害がかかるとそそのかし、辰江を殺害させた。邪魔者はいなくなった。福見とかよは晴れて結婚し、幸子も芸者を辞めて大和閣に落ち着いた。

ところが、300万円を費い果たした橋本が再び舞い戻って来た。幸子は、やっと幸福をつかんだ自分とかよを、不幸におとしいれようとする橋本が許せなかった。殺すしかない。

そう決心した幸子は、登山列車から橋本をつき落とそうとするが、逆に谷底につき落とされてしまった。最愛の幸子を失なったかよは復讐のために橋本と会おうとするが、福見は許さなかった。

かよは福見に過去の夫殺しを告白、生きた屍のように無気力となってしまった。一方福見も、先妻殺しをそそのかしたターボの存在が邪魔になり殺そうとする。しかしターボの抵抗にあい、かよに手助けを求めたが、かよは逆に福見を殺してしまった。

かよは初めて自分を最も愛してくれていたのはターボであることを知ったのだ。二人は死ぬ覚悟で逃走した。駅へたどり着いた時、結城の事件以来、かよを追っていた五十沢刑事ほか警察官が待ちかまえていた。

出典元:映画.com

天国の駅はAmazonprimeで観れます(^^♪

補足

1970年代後半から1980年代初頭にかけて、吉永小百合さんは映画への出演がやや減少し、テレビドラマや朗読、舞台などで活動を広げました。

1984年「天国の駅」は、吉永さんの主演映画としては1975年「青春の門」以来9年ぶりとなる主演作で、社会現象となるほどの話題を呼びました。

ジャンルは多様で、青春もの、社会派、サスペンス、戦争映画など幅広い役柄を演じています。

吉永小百合さんは30代で「青春の門」「新どぶ川学級」「皇帝のいない八月「衝動殺人 息子よ」「動乱」「天国の駅 HEAVEN STATION」など、主演・主要キャストとして多様な映画に出演しました。

吉永小百合:30代プライベートのエピソード

35歳の時には、映画選びを自分の意思で行うようになり、1~2年に1本ペースでの出演を選ぶようになりました。

その結果、彼女は役を深く理解し、自分にとって本当に意味のある作品に集中するようになったんです。
この新しい姿勢が、彼女のキャリアをさらに輝かせることになりました。

この年代は、吉永さんにとって成熟の時期だったと言えるでしょう。
彼女がどのように映画と向き合っていたか、その心情を知るとより一層尊敬の念を抱いてしまいますね!

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