吉永小百合さんは、1959年に映画デビューをし、『伊豆の踊子』『細雪』『母べえ』など、たくさんの人気映画に出ています。
2024年の時点で、映画に120本以上も出演していて、その清らかなイメージと透明感は、年代や性別を超えて多く人に影響を与えています。
まっすぐな姿勢やきりっとした美しさは、40代で始めた水泳や、毎日続けているスクワットや腹筋、ストレッチなどのトレーニングのおかげで、健康や美しさへの思いが強いことでも知られています。
そこで、この記事では、吉永さんの若い頃の超かわいい画像と現在の画像を比較しながら、出演作品とエピソードをご紹介していきます。
下の動画は昨年の吉永小百合さんのインタビュー動画です、79歳ですが若いですね。


目次
吉永小百合さんの現在は?
吉永小百合さんは現在も現役で映画出演しています。
その若々しい姿は、若い人から同年代の人までにも、憧れの存在になっていますね。

直近の活動状況は
現在も映画出演の継続
2023年時点で主演作「こんにちは、母さん」(山田洋次監督)で映画出演本数が123本となりました。
『こんにちは、母さん』
珍しく普通のおばさん役の
吉永小百合さん
でも、やっぱり素敵。
小百合さんの息子役に大泉洋くん
彼の娘役に永野芽郁ちゃん(可愛いい
大泉洋くんの娘…
(ここ、ちょっと謎山田洋次監督作品は
ほのぼのする。
良作。“お母さんは、お母さんの前に”女”なのです”。 pic.twitter.com/H1LeeDIS9I
— 紗里@さり (@jetmark321) September 9, 2024
そして、2025年10月31日(金)全国公開の映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』では、女性初のエベレスト登頂者・田部井淳子さんを演じ、通算124本目の映画出演となりました。
この作品は過酷なロケが多く、吉永さん自身も「過酷な撮影でした」と語っていますが、「本物の田部井淳子さんが、てっぺんの向こうから『よくやったね、頑張ったね』と言ってくれているような気がする」と晴れやかな表情を見せています。

【ストーリー】
1975年、エベレスト山頂に向かう一人の女性の姿。
一歩一歩着実に山頂 (てっぺん) に向かっていくその者の名前は多部純子。日本時間16時30分、純子は女性として初の世界最高峰制覇を果たした――しかしその世界中を驚かせた輝かしい偉業は純子に、その友人や家族たちに光を与えると共に深い影も落とした。
晩年においては、余命宣告を受けながらも「苦しい時こそ笑う」と家族や友人、周囲をその朗らかな笑顔で巻き込みながら、人生をかけて山へ挑み続けた。
登山家として、母として、妻として、一人の人間として…。純子が、最後に“てっぺん” の向こうに見たものとは――。
出典元:木下グループ
吉永小百合さんは、テレビドラマとかに出演しないで、映画に1年~2年に一本の割合で出演していますね。
芸能界のキャリア
吉永小百合さんは、2025年5月時点で、自身の芸能界キャリアを「富士山の8合目くらい」と表現し、「頂上まで行けるかどうか」と今後の活動への意欲を示しています。
2024年には映画女優デビュー65周年記念企画が開催され、自身が選んだ作品の上映会や写真集の発売も行われました。
社会的・文化的活動
2025年3月、東京・サントリーホールで開催された「東北ユースオーケストラ演奏会2025」で平和を願う詩を朗読し、80歳を迎えた心境や今後の人生への思いを語りました。
#戦争反対憲法守れ#戦争を決して現実にしてはいけない
吉永小百合さんが21日、東京・サントリーホールで開催された『東北ユースオーケストラ演奏会 2025』に出演。平和への願いを込めた詩を朗読しました。
平和のために「1つでも行動していくことが大切」と詩で思いを伝えられました。 https://t.co/aqlw2LyANF pic.twitter.com/Ntm7As1a8L— さとし (@zSNejW6MnT64768) April 3, 2025
「これからどうやって生きていこうか、という岐路にあると思っています」と語り、第一線での現役続行を誓っています。
私生活
夫・岡田太郎さんとは1973年に結婚し、2024年に死別しています。
現在も筋金入りの西武ファンとして知られています。
吉永小百合さんは80歳を迎えてもなお、映画や朗読、イベントなど多彩な活動を続けています。
2025年には通算124本目の映画出演作が公開され、今後も現役を貫く決意を表明しています。
公私ともに多くの変化を経験しつつ、今後の活動にも大きな期待が寄せられています。


吉永小百合プロフィール
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日 )本名岡田小百合、現在80歳になりました。
◎本名: 岡田小百合(旧姓:吉永)
◎生年月日:1945年3月13日
◎年齢:80歳(2025年3月現在)
◎出身地:東京都渋谷区
◎血液型:O型
◎趣味:水泳、将棋、
◎所属事務所:吉永小百合連絡事務所
吉永小百合さんの現在の活躍と、簡単なプロフィールもご紹介してきました。
それでは、一気に過去にさかのぼっていきます。
芸能界に入るきっかけは何だったのか、デビュから時系列でまとめてみました。
吉永小百合:芸能界に入るきっかけ
吉永小百合さんが芸能界に入るきっかけは、彼女が15歳の時にラジオ番組「赤胴鈴之助」のオーディションに合格し、デビューしたことです。
このきっかけが吉永さんを映画の世界へと導き、そこから日本を代表する大女優としてのキャリアが始まりました。
吉永小百合さんの自然な魅力と清楚なイメージが、多くの人々の心をつかんだのです!
デビュー作赤胴鈴之助とは
吉永小百合さんが出演した「赤胴鈴之助」は、彼女の女優としてのスタートを切ったラジオドラマが基となっており、映画版やドラマ版もある有名な作品です。
この物語は、日本の戦国時代を舞台に、少年剣士・鈴之助が活躍する冒険活劇で、多くの人々に愛されてきました。
吉永さんのフレッシュな魅力が、この作品で一躍注目を浴びることになったのはとても素敵な話です。
赤胴鈴之助と吉永小百合
「赤胴鈴之助」は、少年画報1954年8月号から連載開始されたが、第1回の作者は『福井英一』である。福井は、手塚治虫と人気を二分する存在であったが、急逝されて第2回から『竹内つなよし』によって継続連載されるようになった。
竹内のストーリーテーラー性によって、掲載紙での人気が高まるにつれてマスメディアに取り上げられてゆく。
まず、ラジオ放送では、ラジオ東京(現TBSラジオ)で1957年1月6日から放送された。鈴之助には横田毅一郎、千葉さゆりには吉永小百合、しのぶには藤田弓子が演じた。女優・吉永小百合の誕生である。前年の1956年12月にオーディションが行われ、12月24日に合格の電話が届いたと吉永自身の言葉で確認される。
また、大映で映画化され、鈴之助には1~7作に梅若正二、8~9作に桃山太郎、千葉さゆりには浦路洋子(第1・2作のみ)、しのぷには中村玉緒が演じた。
続いて、テレビ放送も開始された。1957年10月2日からKRテレビ(現TBSテレビ)で、鈴之助には尾上録也、お妙には吉永小百合が演じた。ラジオでの主役を上回る人気の吉永をテレビでも演じさせることになったのだろう。
ラジオ・テレビともに日本水産の提供で、「赤胴鈴之助」の終了後も同じスポンサーで「まぼろし探偵」が製作されたが、主役は変わっても吉永小百合は出演し続けた。毎回出番があるわけでもないのだが、それだけ絶大な人気を博していた証拠だろう。(「赤胴鈴之助」「まぼろし探偵」の主役を演じた方は、本当に影が薄かった。)
ちなみに私の場合、ラジオとテレビの放送がダブるのでどのように聞き分け(見分け)ていたか記憶がないが、すごく忙しかったのを覚えている。
ところで、テレビ版「赤胴鈴之助」はスタジオ生放送であるので、テープやフィルムは残されていない。今一度観たいと思うがかなわないだろう。記憶では、ほのぼのとしたホーム時代劇であった。もっとも、鈴之助なんかより「さゆり」ちゃんばかり見ていたが。
最近、驚くべき事が判明した。なんとテレビ版「赤胴鈴之助」に関西版が放送されていたというのだ。大阪テレビ(現TBS系)で、毎週金曜日の6:15~6:30に鈴之助役に吉田豊明が演じていた。その他の出演者は現在のところ不明である。吉永さんが出演されてはいないと思うが、関西の方の調査を期待する。
出典元:赤胴鈴之助と吉永小百合

さあ、ここからは吉永小百合さんの年代別の代表作をご紹介していきます。
吉永小百合:10代の代表作
- 朝を呼ぶ口笛(1959年、松竹)
吉永小百合の映画デビュー作。脇役ながら重要な役どころで登場。 - ガラスの中の少女(1960年、日活)
高校進学と同時に日活と専属契約を結び、初主演を果たした青春映画。 - 霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活)
- 青春残酷物語(1960年、日活)※端役での出演
- あいつと私(1961年、日活)
- キューポラのある街(1962年、日活)
1962年公開の『キューポラのある街』では第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。
この映画は、鋳物工場の町に住む少女とその家族を描いた作品で、吉永さんはその自然体で繊細な演技が評価され、一躍注目を浴びました!
この映画が彼女の女優人生の始まりとなり、その後の華やかなキャリアに繋がったんですよ。
吉永小百合さんがデビューされた時代、つまり1950年代末から1960年代初頭は、日本が戦後の復興を遂げた後、経済成長を遂げていた時期ですね。
このころは「昭和の高度成長期」と呼ばれ、急速に工業化が進む中で都市化が進行していました。
「キューポラのある街」は、まさにこの経済変化の影響を受けた下町が舞台です。鋳物工場の町での人々の生活を描きながら、家庭や仕事、そして地域社会の繋がりの重要性を表現しています。
この映画は、社会の変化とその中で揺れる人々の感情に寄り添う作品でした。
- 赤い蕾と白い花(1962年、日活)
主題歌「寒い朝」もリリース。 - あすの花嫁(1962年、日活)
- 美しい暦(1963年、日活)
- 光る海(1963年、日活)
- 青い山脈(1963年、日活)
- 愛と死をみつめて(1964年、日活)
- 潮騒(1964年、日活)
※上記以外にも、日活の青春映画を中心に多数の作品に出演していますが、10代で主演または主要キャストとして出演した主な作品は上記の通りです。
補足
- 日活との専属契約(1960年~1968年)の初期は、10代の吉永小百合が主演や主要キャストとして多数の作品に出演しました。
- 10年間で70本以上の映画に出演しており、10代のうちに主演級の作品が多く含まれています。
-
1960年から1964年までの間に、特「ガラスの中の少女」「キューポラのある街」「赤い蕾と白い花」「青い山脈」「愛と死をみつめて」「潮騒」などが代表作として知られています。
上記リスト以外にも、10代のうちに数多くの映画に出演していますが、これらが代表的な作品です。
20代の代表作
- 1965年(20歳)
- 悲しき別れの歌(主演・野村ゆり子)
- 青春のお通り(主演・南原桜子)
- 明日は咲こう花咲こう(主演・小日山ひろ子)
- 父と娘の歌(主演・卓紘子)
- 四つの恋の物語(三沢三也子)
- 続・キューポラのある街 未成年(主演)※1965年の続編も含む
- 1966年(21歳)
- 大空に乾杯(主演・滝村ゆり子)
- 青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ!(主演・南原桜子)
- 風車のある街(主演・三浦まり子)
- 私、違っているかしら(主演・白石桂)
- 1967年(22歳)
- 斜陽のおもかげ(主演)
- 愛と死の記録(主演)※1966年公開とする資料もあるが、主に1967年とする場合もあり
- 1968年(23歳)
- 愛と死の記録(※再掲:資料によっては1967年もしくは1968年)
- 赤い谷間の決斗(主演)
- 現代悪女伝 おんなの渇き(主演)
※この時期、日活を離れて東映や松竹など他社の作品にも出演。
- 1969年(24歳)
- 現代やくざ 人斬り虎(主演)
- 現代やくざ 血祭り喧嘩状(主演)
- 1970年(25歳)
- 現代やくざ 与太者の唄(主演)
- 1971年(26歳)
- 戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河(伍代順子)
- 現代やくざ 人斬り数え唄(主演)
- 1972年(27歳)
- 男はつらいよ 柴又慕情(歌子)
- 現代やくざ 人斬り唐獅子(主演)
- 1973年(28歳)
- 戦争と人間 第三部 完結篇(伍代順子)
- 現代やくざ 人斬り子守唄(主演)
- 1974年(29歳)
- 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(歌子)
補足
- 1965年~1966年は日活の青春映画を中心に主演作が多く、特に「青春のお通り」シリーズや「大空に乾杯」などが有名。
- 1967年以降は日活を離れ、東映や松竹などで幅広いジャンルの作品に出演。
- 1970年代前半には「戦争と人間」シリーズや「男はつらいよ」シリーズなど、話題作への出演が目立ちます。主演作以外にも多くの作品に出演していますが、上記は代表的な主演・主要キャスト作品です。

30代の代表作
さぁ、30代に入った吉永小百合さんはどんな映画に出演したのでしょうか。
大人の女性になって、ますます魅力的になってきたのでしょう。
- 1975年(30歳)
青春の門(主演・伊吹タエ)
東宝、浦山桐郎監督。五木寛之原作の青春大河ドラマ。
- 1976年(31歳)
新どぶ川学級(主演・須藤節子)
日活、神山征二郎監督。教育映画。
- 1977年(32歳)
若い人(特別出演・鮎沢由紀)
東宝、杉江敏男監督。1962年版の主演作とは別。
- 1978年(33歳)
皇帝のいない八月(主演・藤崎杏子)
松竹、山本薩夫監督。サスペンス。
- 1979年(34歳)
衝動殺人 息子よ(主演・柴田保子)
松竹、森谷司郎監督。社会派サスペンス。
- 1980年(35歳)
動乱(主演・溝口薫)
東映、森谷司郎監督。戦争映画。
- 1981年(36歳)
※この年の「青春の門」は1981年版(松坂慶子主演)であり、吉永小百合の出演はありません。
- 1982年(37歳)~1983年(38歳)
※この時期は映画への出演が一時減少、主にテレビドラマや朗読活動が中心。
- 1984年(39歳)
天国の駅 HEAVEN STATION(主演・林葉加代)
東映、出目昌伸監督。戦後初の女性死刑囚をモデルにした話題作です。
補足
1970年代後半から1980年代初頭にかけて、吉永小百合さんは映画への出演がやや減少し、テレビドラマや朗読、舞台などで活動を広げました。
1984年「天国の駅」は、吉永さんの主演映画としては1975年「青春の門」以来9年ぶりとなる主演作で、社会現象となるほどの話題を呼びました。
ジャンルは多様で、青春もの、社会派、サスペンス、戦争映画など幅広い役柄を演じています。
吉永小百合さんは30代で「青春の門」「新どぶ川学級」「皇帝のいない八月」「衝動殺人 息子よ」「動乱」「天国の駅 HEAVEN STATION」など、主演・主要キャストとして多様な映画に出演しました。
特に「天国の駅」は、吉永さんのイメージを大きく変えた代表作として知られています。

吉永小百合さん、いよいよ40代に入ってきます!
どんな女性になっていったのでしょうか?
40代の代表作
吉永小百合さんの40代は、女優としての円熟味が増し、深い役柄にも挑戦された時期でした。
- 1985年(40歳)
- 夢千代日記(主演・永井左千子)
- 1986年(41歳)
- 玄海つれづれ節(主演・山岡ゆき)
- 1987年(42歳)
- 映画女優(主演・田中絹代)
- 1988年(43歳)
- つる -鶴-(主演・つる)※通算100作目記念映画
- 華の乱(主演・与謝野晶子)
- 1989年(44歳)
-
※この年は映画出演作なし(主にテレビや朗読活動)
-
- 1990年(45歳)
-
※この年も映画出演作なし(テレビ・ラジオ・朗読活動中心)
-
- 1991年(46歳)
-
※この年も映画出演作なし
-
- 1992年(47歳)
- 外科室(主演・貴船伯爵夫人)
- 天国の大罪(主演・衣畑遼子)
- 1993年(48歳)
- 夢の女(主演・お浪/花魁楓)
- 1994年(49歳)
- 女ざかり(主演・南弓子)

補足
- 1985年~1988年には毎年主演作が公開され、特に「夢千代日記」「映画女優」「つる -鶴-」「華の乱」などが話題となりました。
- 1989年~1991年は映画への出演がなく、テレビドラマや朗読活動が中心でした。
- 1992年~1994年には再び映画に主演し、「外科室」「天国の大罪」「夢の女」「女ざかり」などで幅広い役柄を演じました。
その中でも特に注目される作品には以下のようなものがあります。
- 1986年:『駅 STATION』 高倉健さんと共演したこの映画は、細やかな人間ドラマが描かれ、吉永小百合さんの演技力が光りました。
- 1989年:『つる -鶴-』 この作品では、伝統的な日本文化や感情の繊細さを表現したストーリーが展開されました。
吉永小百合さんにとって、多くのチャレンジと成熟した演技の可能性を広げた時期でしたね!

50代の代表作
吉永小百合さんが50代で出演した映画は次のような作品です。
- 1995年(50歳)
深い河(DEEP RIVER)(主演・大津和子)
東宝、熊井啓監督。遠藤周作原作。戦争と信仰をテーマにしたヒューマンドラマ。
- 1996年(51歳)
※この年は映画出演作なし(主にテレビや朗読活動)
- 1997年(52歳)
失楽園(特別出演・久木祥一郎の妻・久木文枝)
東宝、森田芳光監督。渡辺淳一原作。夫婦の危機を描く恋愛映画。
- 1998年(53歳)
※この年も映画出演作なし
- 1999年(54歳)
※この年も映画出演作なし
- 2000年(55歳)
雨あがる(主演・結城志乃)
松竹、小泉堯史監督。山本周五郎原作。江戸時代を舞台にした時代劇。
- 2001年(56歳)
※この年は映画出演作なし
- 2002年(57歳)
ホテルビーナス(主演・ホテルオーナー・ヨーコ)
日本・韓国合作、藤田明二監督。アジア映画祭出品作。
- 2003年(58歳)
※この年は映画出演作なし
- 2004年(59歳)
北の零年(主演・田村志乃)
東映、行定勲監督。明治初期の北海道開拓を描く歴史大作。
補足
- 1995年「深い河」は、戦争や信仰をテーマにした重厚なヒューマンドラマで、吉永小百合さんの演技が高く評価されました。
- 1997年「失楽園」は、夫婦の危機を描いた話題作で、吉永は主人公の妻役として特別出演しています。
- 2000年「雨あがる」は、江戸時代を舞台にした時代劇で、主演として好演。第24回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。
- 2002年「ホテルビーナス」は、日韓合作映画で、ホテルのオーナー役を演じました。
- 2004年「北の零年」は、明治初期の北海道開拓を描いた歴史大作で、吉永が主演を務めました。
吉永小百合さんは50代において、年数こそ少ないものの、代表作となる映画に主演・特別出演しています。特に「深い河」「雨あがる」「北の零年」などは、彼女の演技力と存在感が際立った作品です。
また、この時期は映画よりもテレビドラマや朗読活動が中心となる年もありましたが、映画出演作はいずれも高い評価を得ています。

60代の代表作
吉永小百合さんは60代において、「北の零年」「母べえ」「おとうと」「北のカナリアたち」「ふしぎな岬の物語」など、主演・主要キャストとして数々の名作に出演しました。
特に「北のカナリアたち」では、年齢表現にも挑戦し、女優としての幅広い演技力を発揮しています。
この時期も、映画以外にテレビや朗読活動が中心となる年もありましたが、映画出演作はいずれも高い評価を得ています。
- 2005年(60歳)
北の零年(主演・田村志乃)
東映、行定勲監督。明治初期の北海道開拓を描いた歴史大作。吉永は60歳で主人公を熱演し、強い印象を残しました。
※注:本作は2004年公開とされる場合もありますが、日本映画データベースでは2005年公開が主流です。
ただし、吉永は2004年(59歳)の年末に撮影・公開準備に入ったため、実際の公開は2005年1月~2月が多いです。ここでは「60代の出演作」として扱います。
- 2006年(61歳)
※この年は映画への出演作なし(主にテレビや朗読活動)
- 2007年(62歳)
母べえ(主演・野上佳代)
松竹、山田洋次監督。戦時下の東京で夫を支える妻・母を描いた感動ドラマ。吉永の演技が高く評価されました。
- 2008年(63歳)
※この年も映画への出演作なし
- 2009年(64歳)
※この年も映画への出演作なし
- 2010年(65歳)
おとうと(主演・川野初江)
松竹、山田洋次監督。戦後を生きる姉と弟の家族の絆を描くヒューマンドラマ。
- 2011年(66歳)
※この年は映画への出演作なし
- 2012年(67歳)
北のカナリアたち(主演・川島はる)
東映、阪本順治監督。北海道・利尻島を舞台にしたミステリー。
吉永は小学校教師を演じ、劇中で40代から60代までの年齢を熱演しました。
本作では「60代ではほぼノーメイクの状態で撮影するかたちを取りました」と語り、年齢表現に挑戦しています。
- 2013年(68歳)
※この年は映画への出演作なし
- 2014年(69歳)
ふしぎな岬の物語(主演・折原美鈴)
東映、成島出監督。不思議な岬の喫茶店を舞台に、人生に迷う女性たちの物語。
補足
2005年「北の零年」は、吉永の60代最初の主演映画となり、北海道開拓という重厚なテーマで強い印象を残しました。
2007年「母べえ」は、戦時下の家族愛を描き、吉永の演技が高く評価されました。
2010年「おとうと」は、山田洋次監督とのタッグで、家族の絆を描いた感動作です。
2012年「北のカナリアたち」は、吉永が劇中で年齢を変えて演じ分け、特にノーメイクでの演技が話題となりました。
2014年「ふしぎな岬の物語」は、吉永の60代最後の主演映画となり、人生の岐路に立つ女性を熱演しています。

70代の代表作
- 2016年(71歳)
生きてるだけで、愛。(主演・石橋涼子)
東映、阪本順治監督。認知症を患う母親とその家族の絆を描くヒューマンドラマ。
- 2017年(72歳)※この年は映画への出演作なし(主にテレビや朗読活動)
- 2018年(73歳)
東映、滝田洋二郎監督。北海道を舞台に、戦後から現代にかけての家族の物語。
北の桜守(主演・江蓮徳次郎の妻・江蓮つね)
- 2019年(74歳)
最高の人生の見つけ方(主演・市江沙織)
松竹、犬童一心監督。余命宣告を受けた女性が最後の旅に出る感動ストーリー。吉永は121本目の出演作として主演を務めました
- 2020年(75歳)
※この年は映画への出演作なし
- 2021年(76歳)
こんにちは、母さん(主演・石橋涼子)
松竹、山田洋次監督。老母と家族の絆を描く心温まる物語。
- 2022年(77歳)
※この年は映画への出演作なし
- 2023年(78歳)
せかいのおきく(主演・おきく)
東映、阪本順治監督。戦前・戦後を生き抜いた女性の人生を描く大作。
- 2024年(79歳)
※この年は映画への出演作なし(※ただし、クランクインは2024年だが、公開は2025年秋の「てっぺんの向こうにあなたがいる」は70代での出演作に含める場合もありますが、正式な公開は2025年となるため、ここでは除外します)
補足
「てっぺんの向こうにあなたがいる」は2024年にクランクインし、吉永小百合さんが79歳で主演を務めていますが、公開は2025年秋のため、一般的には「70代の出演作」には含めません<a “吉永小百合×阪本順治の13年ぶりとなる再タッグ映画『てっぺんの …”>
70代での映画出演はやや間隔が空く年もありますが、主演作が多く、いずれも高い評価を得ています。
「生きてるだけで、愛。」「北の桜守」「最高の人生の見つけ方」「こんにちは、母さん」「せかいのおきく」が、吉永小百合さんの70代における主な映画作品です。
現在の作品と未来への夢
80代に入った吉永小百合さんの、現在の作品は冒頭にご紹介しました、2025年10月31日(金)全国公開の映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』です。
女性初のエベレスト登頂者・田部井淳子さんを演じ、通算124本目の映画出演となりました。
吉永小百合さんは、近年のインタビューやトーク、CMなどで今後の人生や生き方について次のように語っています。
-
「今をしっかり生きる」という姿勢
-
「いつだって今がいちばん好き」というメッセージを発信し、「今をしっかり生きるっていうことが明日につながると思うんです」と語っています。
-
人生100年時代を意識し、新しい暮らしと生き方を大切にしたいという思いが込められています。
-
-
無理をせず、続けることの大切さ
-
「無理をしないこと」が長く続ける秘訣だとし、「もうちょっとやりたいな」と思ったときにやめて、また次につなげるということが大事だと述べています。
-
-
健康と感謝の気持ち
-
「今日まで元気で過ごしてこられたのは、皆さんがケアしてくださったということもあり、健康に気をつけてきた自分のこともちょっぴり褒めたい」と振り返り、これからも健康に気をつけながら生きていきたいという思いを語っています。
-
-
現役であり続ける意欲
-
「これからもそれぞれ、ご自分のやりたいことや、やらなければいけないことを大事に、元気で、未来に向かって歩いていただきたい。私も皆さんについて行きたい」と、自分自身も現役として歩み続けたいと語っています。
-
-
「今がいち」の気持ちで楽しむ
-
いろいろなことがあるけれども、「今をしっかり生きる」ことが大切であり、楽しくありたいという思いを強調しています。
-
このように、吉永さんは「今を大切にし、無理をせず、健康に気をつけながら、現役として歩み続けたい」という前向きな姿勢を語っています。
最後に吉永小百合さんの今までの受賞歴もご紹介しておきましょう。
吉永小百合:受賞歴
吉永小百合さんのキャリアには輝かしい受賞歴がいくつもあります!
以下はその中でも特に重要なものです。
日本アカデミー賞
吉永小百合さんは主演女優賞を複数回受賞しており、特に『北の零年』(2005年)での受賞が印象的です。この作品は、彼女の演技力と人間性を感じさせるものとして評価されました。
【日本アカデミー賞】
◎第47回 日本アカデミー賞(2024年)
ノミネート
最優秀主演女優賞 こんにちは、母さん
◎第45回 日本アカデミー賞(2022年)
ノミネート
最優秀主演女優賞 いのちの停車場
◎第43回 日本アカデミー賞(2020年)
ノミネート
最優秀主演女優賞 最高の人生の見つけ方
◎第42回 日本アカデミー賞(2019年)
ノミネート
最優秀主演女優賞 北の桜守
◎第39回 日本アカデミー賞(2016年)
ノミネート
優秀主演女優賞 母と暮せば
◎第38回 日本アカデミー賞(2015年)
ノミネート
優秀主演女優賞 ふしぎな岬の物語
◎第36回 日本アカデミー賞(2013年)
ノミネート
優秀主演女優賞 北のカナリアたち
◎第34回 日本アカデミー賞(2011年)
ノミネート
主演女優賞 おとうと
◎第32回 日本アカデミー賞(2009年)
ノミネート
主演女優賞 母べえ
主演女優賞 まぼろしの邪馬台国
◎第29回 日本アカデミー賞(2006年)
受賞
主演女優賞 北の零年
◎第25回 日本アカデミー賞(2002年)
ノミネート
主演女優賞 千年の恋 ひかる源氏物語
◎第24回 日本アカデミー賞(2001年)
受賞
主演女優賞 長崎ぶらぶら節
◎第22回 日本アカデミー賞(1999年)
ノミネート
主演女優賞 時雨の記
◎第18回 日本アカデミー賞(1995年)
ノミネート
主演女優賞 女ざかり
◎第17回 日本アカデミー賞(1994年)
ノミネート
主演女優賞 夢の女
◎第16回 日本アカデミー賞(1993年)
ノミネート
主演女優賞 外科室 天国の大罪
◎第12回 日本アカデミー賞(1989年)
受賞
主演女優賞 つる 鶴 華の乱
◎第11回 日本アカデミー賞(1988年)
ノミネート
主演女優賞 映画女優
◎第9回 日本アカデミー賞(1986年)
ノミネート
主演女優賞 夢千代日記
◎第8回 日本アカデミー賞(1985年)
受賞
主演女優賞 おはん 天国の駅
◎第4回 日本アカデミー賞(1981年)
ノミネート
主演女優賞 動乱
ブルーリボン賞
日本映画界を代表する賞で、数回にわたり彼女はその栄誉を受けています。
【主な受賞作と特徴】
1. 『キューポラのある街』(第13回:1962年度)
監督:浦山桐郎
概要:
埼玉県川口市の鋳物職人の町を舞台に、貧しさにもめげず強く生きる家族とその長女ジュンを描いた感動的な青春ドラマです。
吉永小百合さんは主人公ジュン役で主演し、当時最年少でのブルーリボン主演女優賞を受賞しました。
この受賞がきっかけで、彼女は大スターへの道を躍進することとなりました。
受賞内容:
作品賞(『キューポラのある街』)
主演女優賞(吉永小百合)
新人賞(浦山桐郎監督)
意義:
この作品は吉永小百合の代表作となっており、彼女自身も「100年残る作品に、と願ってきましたがもう62年もたつんですね」と語っています。
2. 『長崎ぶらぶら節』(第43回:2000年度)
監督:深町幸男
概要:
詳細な内容は公式情報に限りますが、吉永小百合さんはこの作品で主演女優賞を受賞。
この受賞は彼女のキャリアの中でも重要な位置づけとなっています。
受賞内容:
主演女優賞(吉永小百合)
3. 『こんにちは、母さん』(第66回:2023年度)
監督:山田洋次
概要:
山田洋次監督と何度もタッグを組んできた吉永小百合さんが、母、祖母、恋する女性など複雑な役を演じた作品。
23年ぶりの主演女優賞受賞となり、最多タイとなる3度目の栄冠となりました。
受賞内容:
主演女優賞(吉永小百合)
意義:
受賞式では「とびっきりうれしい!」と喜びを語り、監督やスタッフ、観客への感謝を述べています。
ブルーリボン賞における吉永小百合の功績
最多タイ受賞:
吉永小百合はブルーリボン賞主演女優賞を3度受賞しており、これは桃井かおりと並ぶ最多タイ記録です。
映画史への寄与:
彼女の受賞作はそれぞれ時代を象徴する名作であり、日本映画の歴史に大きな足跡を残しています。
その他にも、次のような受賞歴があります。
- 紫綬褒章:芸術分野での功績が認められ、吉永さんはこの国家栄誉を授与されています。
- 旭日小綬章:これも吉永小百合さんの長年の功績を称えるものです。
彼女の受賞歴は日本映画界の中でもトップクラスであり、幅広い世代から敬愛されています!
まとめ
吉永小百合さんの超かわいい10代、そして80代に入った現在でも映画に主演で出演しています。
デビューから今までの出演映画や、エピソードなども時系列でご紹介してきました。
今の自分を、富士山の8合目あたりと語る吉永小百合さんは、頂上を目指してこれからも魅力的な姿を映画でみせてくれるでしょう。